日本はルールのわからないゲームを
無理やりやらされてきた
堀内 今の話を引き継ぐと、日本だけがどのようなルールでゲームを戦っているのか知らない、という側面があります。経営共創基盤(IGPI)グループ会長で、経済同友会副代表幹事なども務めた冨山和彦氏は、よく「野球からサッカーにゲームが変わったのに、日本の経営者はまだサッカー場で野球をやろうとしている」と言われていて、私も本当にそうだなと感じます。
日本はなぜ太平洋戦争であれほど無謀な戦いをし、多くの国土を焼かれ、戦後どのような環境に置かれてきたのか。自分たちが何をやってきたのかということを理解しなければ、アングロサクソンやユダヤ系、台頭してきた中国といった人たちがルールの枠組を作って動かしている世界に、ただ乗っかることしかできないということになります。
もしくは相手のルールに単純に巻き込まれて、「できた」「できなかった」と一喜一憂するだけになる。そうやって、相手の土俵で戦っている限り、勝てるわけもないです。苦しんだわりには報いは少ない、ということになってしまうだけです。
ですから、自分は今どのような場に置かれて、何のゲームをどのようなルールで戦っているのか、それぐらいは理解しなければいけないと思うんですよね。
徳成 一度、自分たちの立ち位置を俯瞰してみること、メタ思考が重要ですよね。
堀内 若い人たちには、理由は何でもいいからとにかく海外に行け、と言っていまして。とにかく外の世界を見てこないと自分が何者かわからないですから。
私はちょうど読書に関する本『人生を変える読書』を出したところなのですが、その中でもその点を強調しています。自分がどのような視座を持っていて、どのような思考の枠組みにとらわれて世の中を見ているのか、それはその思考をずらしてみないことにはわからないんですよと。
横から見たり、上から見たらどのように見えるのか。うまく自分の思考自体をずらして別の角度から見てみる。そうしたメタな思考をすることが教養だと思うのです。それを身に着けないと。
ずっとコツコツ真面目に同じことをやるのも人生ですが、メタ思考がないと、気付けばコツコツと人の作ったルールを守っているだけ、というふうになってしまうと思います。それだと最初から勝負に負けているので、まずはそのことに気付いてほしいなと。
徳成 日本は昔から天変地異が多いから、どうしてもコツコツ思考になりがちなんですよね。だって一生懸命頑張って作っていたお米が、自然災害で一晩でダメになるとか、当たり前だったから。あと1週間で収穫できる作物が台風で全部やられちゃう、みたいなことを長い間、何回も繰り返してきたから、危機に備えて蓄えておく、という保守的な国民性になったんだと思うんですよ。粘り強く、我慢強くなった。
かつ江戸時代に幕藩体制が300年近く続いたから、お上の言うことに従うことにも慣れ過ぎている。だから人様のルールの下で戦うことに疑問を感じないんでしょうけど、本当は良くないですよね。
堀内 だからといって、ではこのゲームから抜けます、というわけにはいかない。江戸時代の人口はおおむね3100~3300万人だったと言われています。今は人口が減り始めているといっても1億2500万人ほどです。それでも江戸時代の4倍ぐらいいるわけです。
マルクスは晩年、脱資本主義という視点から循環型経済を唱えていて、マルクス主義研究者の斎藤幸平氏もこれを支持しているのですが、鎖国をしていた江戸時代ならいざ知らず、これだけグローバル化した今の世界で、地域社会の中だけで循環してやっていけるのかと思うわけです。
世界に目を向けると、スペイン風邪の流行によって世界人口の数%が減少したと言われる第一次世界大戦直後は約18億人でした。これが今や、80億人を超えている。4倍以上です。
それを循環型社会に戻すとなったとき、ではこの余剰人員をどうすればいいんだ?という話になってきます。地産地消みたいなことができたら一番いいのでしょうが、地球がこれだけの人口を養っていかなければいけない今、すべてを循環型経済とか脱資本主義に戻すというのは、私は現実味がないと思っています。
つまり、資本主義というゲームは18世紀ぐらいから始まっていて、我々は知らないうちにそこに参戦しているのです。今さらそこから足抜けができなくなっているということです。
そうであるなら、このゲームのルールをどのように持っていったら少しはマシに戦えるのか、私などはそこを一生懸命考えるのですが、少なくともエグゼクティブくらいのレベルの人は、この問題をきちんと理解してくださいね、というのが私の訴えかけていることなのです。
(第3回に続く)