で、改めて我が身を振り返ったわけです。こんなに何も持っていない私。普段は良くとも、災害があったらどうなっちゃうのかと。

 で、結論はすぐに出たね。何の問題もなし!いやむしろ、ラク家事生活ほど災害向きの生活はないということに改めて気づいたのだ。

 何しろそもそも「便利」に頼っていない。私の場合はそこをとことん極めた結果、今の世界的エネルギー危機による電力高騰の時代にあっても電気代は月200円ちょっと、ガスはそもそも契約しておらずカセットコンロと銭湯で生きている、水道も月に1立方メートルしか使わない、つまりはそもそもライフラインに頼っていないのである。

 となれば、災害に強いどころか「常時災害」生活である。

 災害でライフラインが全て途絶えようが、いつだって洗濯もできるしカセットコンロでメシも炊けるし掃除もできる。少なくとも一週間はフツーに家事をして、普通に生活できる。冷蔵庫も持っていないので、冷蔵庫の電源が落ちたとて何の影響もなし。食材はいつだって漬けたり干したりして常温で常備しているので世界がどう壊れようともストックには事欠かない。

 自分で言うのもなんだが、こんなことができる人が、果たして現代においてどれほどいるだろうか?

 つまりは「便利をやめる」など言われるとどうしても、何か大きな宝物を手放さなきゃいけなくなるような心細さに見舞われてしまうけれど、本当はそうじゃないのだ。便利をやめたらその分、どうしたって自分の中に知恵や経験が蓄積されていくんである。モノは思わぬことでいつ失われるかわからないし、災害グッズも時とともに劣化するけれど、知恵や経験は時とともに蓄積される一方である。

 というわけで、私、台風が来ようがコロナで緊急事態になろうが、慌ててスーパーに走ったことも、走ろうと思ったことも一度もない。その必要が全くないのである。

 何があろうと平常通り。泰然自若。全く大人物になったものだ。

 何が起きるかわからない時代において、何が起きても大丈夫とでんと構えていられることは、やってみればわかるが実にこれ以上の安心はない。ラク家事生活こそ実は最先端の暮らしなんじゃないかと密かに自負する今日この頃である。