ついこの間まで「可愛い!」「楽しそう!」「美味しそう!」と夢中になって飛びついていた可愛い食器も、ゴチソウ食材も、かっこいい調理道具も、流行の服も、アクセサリーも、新しいインテリア商品も、今や「料理に時間がかかる」「ものが溢れて掃除が大変」「とてもじゃないが整理整頓しきれない」「洗濯がむずい」という「地獄への切符」にしか見えない。

 というわけで、全く手が伸びない。

 我ながらすごいと思うのは、お金を使わない理由が「お金惜しさに我慢している」わけじゃ全くないということだ。ただただ欲しくないんである。こんなメンタリティーになってしまうと、なんの節約の苦労も忍耐もなく、ふと気づけばいつの間にか買うものがほとんどなくなっている。

 日々買うものと言ったら、野菜と豆腐、たまに米と乾物と調味料。あとは数カ月に一度、掃除・洗濯用の重曹やクエン酸を買い、シーズンに一度下着を買い換える。

 ほぼそれだけ。それで十分「健康で文化的な生活」が成り立つんである。それどころか、モノが減って家の中もスッキリ、時間にも気持ちにも余裕ができて、お金を使いまくっていた時と比べて何倍も健康で文化的な生活になっているのである。つまりは「お金を使わない方が豊かな暮らしができている」のである。

 私はもう完全に、お金と豊かさの関係がわからなくなってしまった。

 しかし皮肉なことに、そうなってしまうとお金が貯まるんである。「貯める」んじゃなくて「貯まる」。何しろ使いみちがないのだから……。

 最近、お金って、まるで恋愛相手みたいだナと思う。欲しくてたまらなかった頃は、追いかけても追いかけても逃げて行く。しかし「別にいらない」となったらひたすら寄ってくるのであります。

 まさかこのような境地に達する日が来ようとは。

ラク家事生活ほど
災害向きの生活はない

 そしてラク家事生活とは、災害があってもビクともしない生活でもある。

 これは、少々意外に思われるかもしれない。

 だって、余分なものを持たないのがラク家事のキモであるわけですが、災害の多い昨今は「いざという時に備えて数日分の食料や生活必需品を備蓄しておけ」というのが世の常識となっている。実際、私の暮らす東京でも、台風など接近しようものなら、スーパーの棚から様々な備蓄品がごっそりなくなるといったことが実際に起きている。