上野公園という場所柄、工事にあたっては公園内の樹木、特に桜の根を損傷してはならないとの条件が付された。また国立博物館一帯は御料地(皇室の所有地)であり、ここを通過するには、御前会議で天皇から勅許を得なければならなかった。御前会議は一事不再理で、否決されれば建設が絶望的になるため、社運を懸けて臨んだという。
こうして日暮里~青砥間開業から2年後の1933年12月10日、京成上野~日暮里間が開業し、悲願の都心乗り入れ事業が完了した。
埼玉生まれ埼玉育ちの筆者だが、4年ばかり京成線、北総線沿線に住んでいたことがある。東京メトロの本社は上野にあるため、京成上野まで利用していたのだが、朝の上り電車は比較的すいており、帰りは始発に乗れるため、非常に快適な「穴場」であった。
もし家賃が安く、電車の本数は多いが比較的すいているエリアを探している人がいれば、京成線を候補に加えてみるのもいいかもしれない。