「日本のニッチが世界のメジャーになる、新しい時代がやってきた!」
そう語るのは、世界中のVIPがいま押し寄せているWAGYUMAFIAの浜田寿人氏。浜田氏は、「ニッポンの和牛を世界へ!」をコンセプトに結成された「WAGYUMAFIA」を主宰。和牛の食材としての魅力を伝えるために世界100都市のワールドツアーを敢行。世界のトップシェフと日本の和牛を使ってDJのように独自の料理にしていくのが話題になり、全世界の名だたるVIPから指名される、トップレストランへと成長しています。「1個10万円のカツサンドが飛ぶように売れる」「デビッド・ベッカムなど世界の名だたるVIPから単独指名を受ける」、そんな秘密をはじめて公開して話題となっている著書『ウルトラ・ニッチ』の中から、本連載ではエッセンスをご紹介していきます。
キーワードは、「パーカーポイント」
「海外の目線で編集し直す」ことの重要性をこの連載でも述べてきましたが、外国の目線を意識し、理解しながらも、自国の利益も追求する。そういう仕組みを作り上げていく。これが、理想とするところです。
これがうまいのが、アメリカです。
例えば、アメリカ人がフランス人に、世界のマーケットにおいて勝ったものは、たくさんあります。実はワインがそうです。ワインといえばフランスを思い浮かべる人が多いと思いますが、ではどうやってアメリカは勝ったのか。
キーワードは、「パーカーポイント」です。ロバート・パーカーというアメリカ人がワイン雑誌「ワイン・アドヴォケイト」という雑誌を創刊し、その紙面上で紹介したワインに独自に100点満点基準で、点数づけし始めてしまったのです。
これまで一人称の感性で語られていたワインが、急に100点満点で語れるようになったので、「あの100点のワイン良かったよね」など、世界中のワインファンが語れる共通言語となったのでした。
わずか30年で、アメリカが世界のワインを牛耳るようになった
パーカーポイントが高いと、値段は高くなっていきます。そしてここに、オークションのクリスティやサザビーも加わって、コンテンポラリーアートなどと同じような仕組みが生まれました。パーカーポイントが高く、高付加価値になったワインの値段をどんどん上げられる仕組みです。
パーカーポイントが作られたのは、1980年代。それから30年で、アメリカが世界のワインを牛耳るようになりました。フランスの情緒的なワインの語り方に対して、数字で偏差値をつけたアメリカが勝ってしまったのです。ワイン造りもパーカーポイントで高得点を取れるワイン造りへと変わっていきました。一人の価値基準が、世界のワイン作りそのものを変えてしまったのです。
その中心にいたのが、ロバート・モンダビです。1970年代、アメリカのワイン「ナパ」ブランドは、フランスのワイン「ボルドー」ブランドと激しい戦いを繰り広げました。ロバート・モンダビはシャトー・ムートン・ロスチャイルドの当主だったフィリップ男爵と組み、ジョイント・ベンチャーを作り、ヨーロッパに対抗できるボルドースタイルのワインを造ります。
ナパワインはどうやってイメージを確立していったのか
重要なポイントは、新参者のナパワインが、独自言語で戦ったわけではなく、既に著名なブランドであったムートンと一緒に造ったボルドースタイルのアメリカ発ワインで闘ったこと。そして高得点のパーカーポイントが付与されたそのワインは、皆さんもご存じの“第1楽章”と名がついた「オーパス・ワン」です。確かなマーケティング、わかりやすいネーミング、新樽を使って濃いボルドーレッドの力強いワイン。ナパワインのイメージが確立された瞬間でした。
僕自身、シャンパンを扱っていましたが、ワインとコーヒーのビジネスは、グローバルに食材を扱う上では大いに参考になると感じました。実は葉巻も、ワインのブランディングを真似して、ビンテージ、そして格付けが行われています。
どうやって価値をつけ、マーケットとつながるか。コモディティ化するものと、高付加価値のものを分けていくか。海外の目線で編集する、という視点でもワインのビジネスは大いに参考になります。
(本原稿は、浜田寿人著『ウルトラ・ニッチ』を抜粋、編集したものです)