昭和天皇の誕生日が
国民になじんだワケ
戦前には、新年節、紀元節(建国記念日)、天長節(天皇誕生日)、明治節が四大祝日だったが、戦後は、紀元節は廃止され、明治節は残すべきだ、廃止すべきだ、新憲法発布の日として祝うべきだなど、いろいろな意見があるなかで、「文化の日」として祝日にする玉虫色の妥協が図られた。
昭和天皇の誕生日である4月29日は、5月3日の憲法記念日、5月5日のこどもの日、それに公的な祝日ではないが、多くの企業では休みにしている5月1日のメーデーとともにゴーデンウィークを形づくったので、そのスタートの日となる天皇誕生日を、国民は晴れやかな気分でお祝いできた。
昭和天皇が崩御されたときは、これが祝日でなくなるのは忍びないというので、「みどりの日」として残し、その後、2007年には「昭和の日」に改められた。これにより、11月3日も「明治の日」にしろという意見もある。昭和の日があって明治の日がないのは、昭和天皇のお気持ちにもまったく反すると私も思うのだが、いかがであろうか。
一方、上皇陛下の誕生日である12月23日は、師走の忙しいときであるし、クリスマスイブ前日でもあったので、盛り上がらなかった。各国の日本大使館でも、多くの人がクリスマス休暇に入っているこの日に行事はできないので、12月前半の適当な日に行事を開催することが多かった。
現在の2月23日は、それに比べれば「実用的」ではあるものの、建国記念の日と近すぎて、もうひとつピンとこない。それに、昭和天皇の誕生日が国民になじんでいたのは、長い治世のおかげでもある。
だが、現在の皇位継承順位が変更されない限り、秋篠宮皇嗣殿下の誕生日である11月30日が短い期間、天皇誕生日となり、ついで9月6日の悠仁さまの誕生日が天皇誕生日になれば、社会的にも混乱するだろう。
「皇室の日」の参考とすべき
イギリス王室の事例
私が提案する「皇室の日」の参考となるのが、イギリス王室の事例だ。
イギリスでは1901年に即位したエドワード七世のときから、実際の国王・女王の誕生日には拘泥せず、国王誕生日を6月に設定している。休日が好ましいという配慮もあり、エリザベス女王は6月第2土曜日、チャールズ3世は第3土曜日を国王誕生日としている。
そもそも日本では、建国記念の日制定のごたごたから、紀元節を復活させることへの抵抗は強かった。