内田社長就任とともに、三菱自COOだったルノー出身のアシュワニ・クプタ氏をCOOに呼び戻し、副COOには日産プロパーの関潤氏が就いたことで「集団指導体制」を築いた。しかし、直後に関氏が退社(日本電産社長に転身し、さらにその後台湾・鴻海精密工業のEV事業CSOに就任)して、早くも集団指導体制は壊れた。その後、先述した通り、23年6月にクプタCOOも退任した。

 それでも内田日産は、19年度、20年度の2年連続の赤字から事業構造改革による量から質への転換で21年度には黒字復活を果たし、今期23年度も純利益3900億円を計上する見通しだ。

 内田社長は就任時から「日産のポテンシャルは、こんなものじゃない。日産らしさを取り戻す」と強調してきた。

 一方で、公取委による日産への下請法違反での再発防止の勧告は、事業構造改革におけるコスト削減施策と連動したものとも受け止められる。元々、日産の購買調達部門は古くから取引先部品メーカーにとって「系列」の構造が強かった。かつて日産系列部品企業は「宝会」として組織化されており、過去日産の本社が東銀座にあったことことから、日産系部品企業は日産のことを「東銀座様」と呼ぶほど上下関係の締め付けが厳しかったと、大昔に取材で知ったことを覚えている。

 最近でも、日産系の部品企業は日産のコスト削減策もあって厳しい業績にあり、かつての日産系サプライヤーご三家の一つだったカルソニックカンセイ(現マレリ)や河西工業などの経営難が取り沙汰されている。内田社長は日商岩井から日産入りし、ルノーとの共同購買部門を長く担当していたこともある。今回の下請法違反の動きには、トップとしてしっかり対応していく必要があろう。

 いずれにしてもこの4月からの新経営計画の実行は、内田日産の真価を問われるものとなる。特に環境が激変する中、生き残りに向けた危機感からホンダとの新提携で何をどう早期に具現化していくのか、これをルノー・三菱自とのアライアンスとどう兼ね合わせていくのか。内田社長はこの新中計発表後直ちにインド入りし、ルノーのルカ・デメオCEOとともに現地で会見してインドでのルノー連携の強化策、輸出拠点としての活用を強調した。また、ホンダとの協業についても言及したが「フィジビリティ・スタディーを始めたばかり」にとどめた。

 今後の3カ年で本当に「やっちゃえ!日産」のキャッチフレーズ通りに進み、内田日産の集大成とできるか、大いに注目している。

(佃モビリティ総研代表・NEXT MOBILITY主筆 佃 義夫)