「運転中」という新たな脳の活用法を発見
ちなみに、この書き出しの草案は、房総半島から東京へ戻る途中、アクアラインのひどい渋滞を通っている最中にでき上がった。これまでも、移動中になにかを考えたり、閃いたりすることは比較的多かったのだが、運転をするようになってからは「運転中」という新しい集中状態を手に入れたように思う。
これまで「移動中」というと、電車や高速バスなどで眠ってしまうか、本を読むか、メールを返したり、ついSNSを見てしまったりすることが多かった。しかし運転中というのは、同じ移動中ではあっても、電車などに乗っている時とできることが正反対。上に羅列したことはどれもできないのである。眠ってはダメ。本は読めない、SNSも見られない。こうなると、生活の中にある「移動中」という時間割でできることに変化が出てくる。
運転中は、自分の頭の中にある「考え中のもの」と、比較的長い時間集中力を切らさずに向き合うことができる。これは、私のように慌ただしい人間には結構プラスに思える。自宅のデスクで集中しようと思っても、進化しすぎて使いこなせない家電に呼び出されたり、家族に呼び出されたりする中、車内という自分の快適空間での集中状態は結構気に入っている。このおかげで構成案がまとまったり、やってみたいことが閃いたり、新たな脳の刺激法になっているように感じた。
指令に着実に動いてくれるサマに癒される
休日の過ごし方も変わる。少し車に乗れるようになると、運転を覚えたての人が繰り出す典型的な場所を楽しみ始める。週末にコストコに、そしてIKEAに行きだす。いずれも電車では行きづらく、車があってこそ楽しめる大型店舗だ。飽き始めていた東京暮らしに新たな娯楽、新たな休日が足されていく。
また、「スイッチを押す行為が、人間にとって小さなストレス解消になる」という話を聞いたことがあるだろうか?“ボタンを押すだけ”の玩具などが開発されているのは、そのためらしい。仕事に、恋愛に、何事も思い通りにならないことの多い毎日の中で、スイッチを押せば電気がつく、という明快な指示→変化が人に快楽をもたらすのだという。なんとなくではあるが、車の運転にこれに近い快感を覚えることがあった。アクセルを踏めば進むし、ブレーキを踏めば止まる。右にハンドルを切れば右に行く。窓を開けようとして断られることはない。プロジェクトや自分自身は、時に制御が効かなかったり、止まりたいときに止まらない。猫にだって撫でたいときにニャーと逃げられたりする。そんな中で手にした、車という従順な相棒に励まされる。