日本最大級の食品メーカー「味の素」。その名を知らない人はいないだろう。そんな味の素は近年企業としても急成長を見せ、まさに日本を牽引する大企業になっている。しかし、そんな味の素も常に順風満帆だったわけではない。数年前までは株価、PBRともに停滞し、企業として危機に瀕していた。そんな味の素がなぜ生まれ変わったのか、「味の素大変革」の立役者である味の素・元代表取締役副社長の福士博司氏による企業変革の教科書会社を変えるということ』がこの春発刊された。本記事では意識改革を基盤に会社の株価、PBRなどを3年で数倍にした福士氏の考え方を本文から抜粋・再編集するかたちでお届けする。

ビジネスパーソンPhoto: Adobe Stock

 私はタイ味の素で工場のエネルギー転換を行い、100億円のコストカットを実現したことがあります。大変なプロジェクトでしたが、なかでも最終ステップはビジネスパーソンとして窮地に追い込まれました。

 エネルギー転換プロジェクトの最終ステップで、経営企画担当執行役員兼取締役に、私はタイから東京の本社まで呼ばれ、こう言われました。

「エネルギー転換の導入はすべて自分の責任でやれ。ひいては、自分の責任でやることを今ここで宣言しなさい。テープに録音しておくので」

 当時のタイ味の素ではエネルギーにかかるコストが大きな問題でした。加えて、タイで石油は採れませんので、輸入に頼っていました。また、自家発電も行っておらず、工場の原燃料エネルギー費は上がる一方です。とはいえ、リスクは高いことですので、その取締役からすれば責任は負えないことだったのでしょう。

 私は、「もちろん。ゼロからのスタートであり、これまですべて自分ともう1人のエンジニアのパートナーでやってきたので、喜んで宣言します。どうぞ録音してください」と申し上げました。その後、この案件は経営会議と取締役会への付議を経て承認されたのです。困難はあったものの私はこれですべてうまくいったと考えていました。

 ところが、最後に落とし穴がありました。この工場があるタイの地域の政治家に反対され、住民を巻き込んだ反対のデモンストレーションが起きたのです。建設工事がストップし、東京に危機管理委員会までできてしまいました。この政治家の説得は実に3ヵ月にもおよびました。到底私の力では解決できず、正直、これで味の素における、自分の将来は消えるかもしれないと覚悟しました。起案者であり、説得者であり、責任は自分で取るとテープに録音までしたのですから当然です。