2017年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの魔法』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

【神様が味方する人の考え方】「後悔」と「反省」をする必要はないPhoto: Adobe Stock

今日の「私の判断」は、人生で最高峰、最ベテラン、最年長。だから、後悔しなくていい

 ある男性から、次のような質問をいただいたことがあります。

「正観さんのお話をうかがったあと、しばらくの間は持続できるのですが、日数が経つと、つい未熟な行動を取って、後悔します。いい状態を続けるには、どうしたらいいでしょうか。すぐに後悔してしまう自分を何とかしたいです」

 結論から言うと、後悔するのは無意味だと思います。

 神社になぜ石段があるのか、ご存じでしょうか? 石段が「人生」をあらわしているからだそうです。

 石段を上ることは、人生です。上りつめて、神様に近づいていきます。でも「まだ未熟ですよ、神様はずっと上にいますよ」ということを示すために、そして、上ってきた「私」の人生を振り返るために、石段があるようです。

 神社の石段にならって、「私の人格」について説明します。

 たとえば、今日、私が立っている石段から、「3ヵ月前の私」を見たとき(人生という石段を振り返ったとき)は、かつての自分が未熟に見えるはずです。未熟に見えるのは、「あれから3ヵ月経って、その分だけ自分は成長している」からです。

 3ヵ月前の時点では、そのときの「私」は、「自分の人生の中でもっとも高い石段に立っていたはず」です。

 ということは、3ヵ月前の自分が下した判断は、その時点では、「最高の判断だった」と言えるのではないでしょうか。

 3ヵ月前に、誰かに何かを言って、相手を傷つけてしまったとします。今の自分は、「あんなことを言わなければよかった」と後悔しているかもしれません。でもそれは、「今の私」だからそう思えるのであって、3ヵ月前にその言葉を発したときは、まだ後悔していなかったはずなのです。

 なぜなら、それまでの人生において、「もっとも高い石段」に立っていたのですから、「その判断も、その日の行動も、すべて正しかった」と思ったはずなのです。

 今、「3ヵ月前の自分は未熟だった」と思うのは、当たり前のことです。なぜなら、今の自分は、当時の自分よりも、「3ヵ月分、石段を上っている(成長している)」のですから。

 3ヵ月前に、どんな事件や出来事があったとしても、「私が最高峰にいたときに下した判断」なのですから、後悔しても無意味だと、私は思います。

 今日の私は、未来から見たら、もっとも若い。過去から見れば(今日を過去の一部として考えたとき)、いちばん高いところにいるベテランです。「今日、私が下した判断」は、人生の中で最高峰、最ベテラン、最年長の判断です。そう考えたら、後悔する必要はないのではないでしょうか。

「未熟なことをしてしまった」とクヨクヨするのはかまいませんが、クヨクヨするエネルギーを「もっと高く石段を上ること」に費やしてみたらどうでしょう。過去を振り返るエネルギーがあるのなら、未来に向けて自分を向上させるために、一段でも高く石段を上ったほうがいいと思います。

「あのとき、あんなことをしてしまった」と思ったとしても、それを受け入れ、肯定して、「しょうがないよね」と言いながら、自分自身とつき合っていけばいいのだと思います。未熟な私を受け入れること。「ああ、あのときは未熟だったな。不十分だったな」と受け入れるだけでいい。

 いつまでも過去にとらわれ、後悔や反省をする必要はないのだと思います。