「仕事が遅い部下がいてイライラする」「不本意な異動を命じられた」「かつての部下が上司になってしまった」――経営者、管理職、チームリーダー、アルバイトのバイトリーダーまで、組織を動かす立場の人間は、悩みが尽きない……。そんなときこそ頭がいい人は、「歴史」に解決策を求める。【人】【モノ】【お金】【情報】【目標】【健康】とテーマ別で、歴史上の人物の言葉をベースに、わかりやすく現代ビジネスの諸問題を解決する話題の書『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、島津斉彬など、歴史上の人物26人の「成功と失敗の本質」を説く。「基本ストイックだが、酒だけはやめられなかった……」(上杉謙信)といったリアルな人間性にも迫りつつ、マネジメントに絶対活きる「歴史の教訓」を学ぶ。
※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

変化への対応が遅れると大きなものを一気に失う「歴史的教訓」とは?Photo: Adobe Stock

ステレオタイプを捨て
大きくシフトチェンジ

山本五十六(1884~1943年)は明治から昭和にかけての海軍軍人。生家は幕末に新政府と戦った長岡藩(新潟)の武家であり、成人した後、旧長岡藩の家老だった山本家に養子に入る。アメリカに駐在武官(現在の防衛駐在官)として赴任したり、ハーバード大学に留学したりした経験から、アメリカの国力の強さを認識。軍艦同士の決戦が主流だった時代から航空戦の時代を予見するなど、先見の明があった。太平洋戦争前には連合艦隊司令長官に昇進。日米の圧倒的な国力差からアメリカとの開戦には反対していたが、開戦が決定してからはハワイ真珠湾の奇襲作戦を立案し、真珠湾攻撃(1941年)を成功させる。しかし、その翌年のミッドウェー海戦(1942年)では敗れ、航空戦に必要となる空母を数多く失った。その後もアメリカとの戦いを指揮するものの、前線視察で赴いた南太平洋・パプアニューギニアのブーゲンビル島の上空で米軍の攻撃を受け、戦死する。現代の企業理念にも通じる「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という格言でも有名。

戦艦大和の就役の直前、山本五十六の予想通り、軍艦同士の戦いから航空戦闘機が戦艦を攻撃する戦いへと、時代はシフトしました。

いや、予想通りということではなく、山本五十六自身が指揮した真珠湾攻撃により、航空戦闘機により戦艦を攻撃できることを世界に示したのです。

皮肉にも、日本は真珠湾攻撃の勝利を通して、戦艦大和が想定していた戦艦同士の戦いの時代を終わらせてしまったのでした。

過去の成功体験が
合意形成の足かせに

このような戦いの変化により、巨費を投じて製造した戦艦大和が、戦艦同士で戦ったのは一度しかなく、ほとんど活躍することはありませんでした。

そして、米軍の沖縄上陸を前にして、沖縄に向かう途上、米軍戦闘機の集中攻撃にさらされ、1945年4月7日、鹿児島県の坊ノ岬沖で撃沈。三千余名もの尊い命とともに海に沈みました。

現代のガソリン車からEVへのシフトにも同じことがいえますが、近い将来に劇的なパラダイムシフトが想定されても、過去の成功体験が現在の組織的な合意形成の足かせになることがあります。

根強い心理的な抵抗感

ステレオタイプを捨て去り、従来のやり方を大きくシフトチェンジするには、心理的にも抵抗が根強いものです。

実際、EVの普及が予想されながらも、5年ほど前まで日本の自動車メーカーの経営者や経営幹部は、「それでもEVへのシフトには多くのハードルがあるから、なかなか普及しないだろう」と発言していました。

ところが現在では海外メーカーに遅れて、日本のメーカーもEVへのシフトが進んでいます。かつての大艦巨砲主義とまではいわないまでも、スピード感のある現代において、日本メーカーのEV対応の出遅れが、国際的な競争力に影響を与えるかもしれません。

変化への対応が遅れると
大きなものを一気に失う

2024年に入り、グローバル市場ではEVよりもハイブリッド車の販売台数の伸びが上回っているという調査結果もあり、EV化の進展は不透明な面もあります。

このような将来見込まれる大きな変化への判断は、リーダーの大きな役割です。かつての日本海軍は、このようなリーダーシップに欠け、過去の成功体験にとらわれたことで戦艦大和の製造につながり、結果的に巨費を投じた軍艦と多数の人命が一気に失われたわけです。

戦艦大和の教訓は、将来の大きなパラダイムシフトに対応するリーダーシップの必要性を教える歴史遺産として、今後も語り継いでいくべきだと思います。

※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。