政教一致を批判する小学生

 答えあぐねていると、男の子がさらりと言ってのけた。

「政教一致だよ」

 なんということだろう!小学生の口から政教一致なんて言葉が出てくるとは。

 だが、言われてみればまさにその通りなのだ。実際、今や大多数のイラン人が、政教一致こそこの国の諸悪の根源であると考えている。男の子も、両親か誰かが政教一致を批判するのを小耳にはさんで、私の前で受け売りしたに違いなかった。

 ところで、政教一致と聞いても、日本人には今ひとつピンとこないかもしれない。なんとなく「問題がありそうだ」ということは分かっても、じゃあ具体的に何が問題なのかと言われるとよくわからないのではないか。

政教一致だと、なぜ政治の独裁化が進むのか

 イラン人たちが考える政教一致の弊害は主に二つある。一つ目は、「政治の独裁化」だ。イスラム共和国のイランには、保守派、穏健派、改革派という三つの勢力が存在し、どの勢力も「自分たちこそが正しいイスラムである」ことをアピールしてきた。

 しかし、ここで問題が生じる。「正しいイスラム」とは、いったい何か。言いかえれば、ある政策が宗教的に正しいかどうかを、誰がどうやって決めるのか。「国民や議員の投票で決めればいいじゃないか」と思うかもしれないが、そうした場で決まるのはあくまでも政治的な正しさであって、宗教的な正しさではない。

 個々の政策についての宗教的な正しさは、結局のところ宗教の専門家に決めてもらうしかない。つまりイスラム法学者だ。こうして法学者たちには、国民やその代表である議員たちにすらない「特権」を手にする道が開かれる。

 そして、その法学者にもランクがある以上、必然的に最上位の法学者、すなわち最高指導者に、あらゆる政策の最終的な決定権が委ねられることになる。ハメネイの独裁には、このような構造的な問題もあるわけだ。