Mさんは「学校に行きなさい」「なんで行かないの」という言葉は我慢して言わないことにしました。でも、頭ではわかっていたものの、学校に行けないお子さんを見ると、怠けていることに、よけいにイライラしていたそうです。

 代わりにMさんがお子さんにかける言葉は、「学校に行かなくてもいいから、勉強だけはちゃんとしなさいよ」「学校も行ってないのにゲームなんてしちゃダメでしょ」というものでした。

 お母さんからこの言葉を聞いたお子さんがどうなると思いますか?

 いえ、この言葉自体にはそんなに問題があるわけではありません。当たり前の言葉のようにも思われるかもしれません。

 問題は、「行かなくていい」と言葉では言ってはいるものの、お母さんの気持ちの中にある「学校に行くべきだ」いう本音の気持ちが無意識に言葉に反映されていることなのです。

 これには、「学校に行かなくていい」という言葉と、その言葉の背景にあるお母さんの本音「なんで学校に行かないの!」という言葉以外の態度から発せられる非言語の情報の二つが存在しています。

 心理学で「二重拘束(ダブルバインド)」というのですが、この二つが全く違うものであると、お子さんは「どっちなの?」と混乱するわけです。

 こんなことが繰り返されると、お子さんは、どうしていいのかわからず、動けなくなってしまいます。

 お母さんは学校に行ってほしいと思っていたはずなのに、無意識でお子さんが身動きがとれなくなってしまう全く逆のことをしてしまっていたのです。

「わかっているけど、
学校に行けないわが子にイライラが止まらなかった」(2)

 Mさんも、まさかお子さんの心がそんなことになっているとは全く思っていなかったのでしょう。

「見守っていたら、成績が落ちてしまう」と試験の時だけは無理やり学校にお子さんを連れて行ったそうです。もちろん、勉強をしていないので成績がいいはずがありません。

 見守るというのは、お子さんの気持ちに寄り添うことなのですが、Mさんは、お子さんの気持ちよりも、自分の焦る気持ちにしか目が向いていなかったのです。

 自分の気持ちに目が向いている時は、お子さんの気持ちはわかりません。