そもそも、アラブ諸国はスンニ派のサウジアラビアとシーア派のイランを中心に対立しており、団結できていません。かつて「パレスチナ問題が解決するまではイスラエルは認めない」という“アラブの大義”を掲げ、対イスラエル戦争を戦った同胞のエジプトは、今やパレスチナ難民の流入を恐れて国境を封鎖してしまいました。

 もともと、アラブ諸国の指導者たちは、自分の権力の維持こそが最も重要だと考えるリアリスト集団です。パレスチナ問題に関しては、パレスチナ人に同情する世論に配慮して一定の行動をとっているに過ぎません。

 最大の資金援助国サウジアラビアも、去年までパレスチナ人の宿敵であるイスラエルとの国交正常化に動いていましたし、2020年にはパレスチナ自治政府への支援金を80%以上も削減しています。またUAE(アラブ首長国連邦)やバーレーンもイスラエルと国交を正常化し、パレスチナへの支援金を同じく削減したと見られています。

 パレスチナ人にとって、もはや“アラブの大義”は失われ、アラブ諸国には見捨てられた、裏切られた状態だったのです。

 過去にアラブ諸国の指導者でパレスチナ人の支持を集めたのが、イラクのサダム・フセイン大統領でした。イスラエルにスカッドミサイルを何発も打ち込み、パレスチナ人たちから「実際に行動を起こした」と称賛されました。

 フセイン大統領といえば1990年に隣国クウェートに軍事侵攻したことで知られ、アメリカ主導の有志連合軍によって撃退され、最終的には2003年のイラク戦争後に殺害された独裁者です。そういう人物でも、パレスチナ人の一部は英雄だと考えていたのです。

 実際、サダム・フセインのイスラエルへのミサイル発射が、欧米を含め他国にパレスチナ問題の解決を急がせ、その後の1993年のオスロ合意へと向かう要因になったとも指摘されています。

「何度も建国のチャンスはあったはず」
パレスチナ政府に対する批判も

 この1993年のオスロ合意=パレスチナ暫定自治合意は、パレスチナに自治区を立ち上げ、いずれはパレスチナとイスラエルの2国家共存を目指すという合意でした。その後の中東和平の基礎となりました。