モスキート音擁護派と反対派
それぞれの言い分の着地点は?

 まずおさらいだが、この「モスキート音騒動」(仮称)については、賛成と反対がかなり真っ二つに割れている印象である。

「モスキート音はやり過ぎ」に対して、「そうされても仕方ないくらいうるさかったのでは」といった意見が多数を占める。

 また、子どもの騒音や、子どもの振る舞いに一度は悩まされた経験を持つ人は多いようで、「モスキート音による報復は適切でないが気持ちはわかる」といった、部分的に共感する声も目立った。

 そしてこのモスキート音騒動の背景にある、「子どもに優しい社会のあり方」を巡っても議論は加熱している。

 子どもを肯定・擁護する側の意見はざっと以下。

・子どもは社会の財産だから大切にするべき。
・社会や地域ぐるみで子どもを育てていく意識を持つべき。

 対立派の意見は以下である。

・子どもが好きでない人もいるので、「大切にしよう」は押し付け。

・子どもをしつけ・制御できない親(保護者)が悪い。

 さて実際はと言うと、モスキート音騒動は、全ては「程度問題」という霧の中にある。常識的に考えて「話し合いもせずに大音量のモスキート音を流して報復を試みるなんてありえない」のだが、もしかしたらプール遊びの音が想像を絶するほどうるさかったのかもしれない。

 どの程度の騒音に対してどの程度の報復が世の中的には許容される(多数の共感を得られる)のか、実際の「程度」は当人たち以外誰もわからないし、仮にその「程度」を観測できたとしても、今度はその「程度」に対する客観的な判断基準が存在しないのであった。