かのアリストテレスも自分が軽視されたり貶められたりしたと認識することで怒りが刺激されると述べていますが、それ以外にも、報われない、評価してもらえないことでも怒りが生じるでしょう。
また時には怒りは必要なものでもあります。例えば人種差別に対する、いわゆる正義の怒りのようなケースです。ですが、一方で怒りに支配されてしまうと理性的にいられなくなることも懸念されます。
有害な怒りと適切な怒りを
区別して自覚しておくこと
ニューヨーク市立大学のジェシー・プリンツ教授は怒りの恩恵を認めながらも、有害な怒りがあること、それらをそうでないものと区別することは可能であることを主張し、怒りが間違った方向に進むいくつかの状況を挙げています。
怒りの歪みによって明らかに歪んだ幸せにつながってしまう場合を、彼の論稿から抜粋・要約してご紹介します。
・怒りの責任のありかを間違えること→自分自身の不満を他人に向けたり、職場での怒りを家庭に持ち込んだりすること
・怒りの対象を広げすぎること→コロナ禍におけるある国への怒りなど、怒りをある特定の人種に向けたりすること
・過剰反応して怒りを爆発させること→子どもの些細な失敗に対して過剰に反応し、虐待などをしてしまうこと