不幸にならないために「適切な怒り」と「有害な怒り」を区別して自覚する方法写真はイメージです Photo:PIXTA

「怒り」には適切なものと有害なものがあり、区別して自覚することが重要になる。少年院で矯正教育に携わった著者が、自分も他人も傷つけてしまう「歪んだ怒り」に陥らない心がけを指南する。本稿は、宮口幸治『歪んだ幸せを求める人たち:ケーキの切れない非行少年たち3』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。

「怒り」は当人の意思が
あって生まれる感情

 現在、怒りについて数多くの書籍が刊行されています。ただその大半が、怒りをよくないものとして捉えており、怒りを鎮めたり理解してコントロールしたりするといった、アンガーマネージメントのような方法論を説くものが多いようです。

 古代ローマのストア派の哲学者セネカの『怒りについて』では、様々な角度から実例をまじえながら怒りを分析しており、その予防法や対処法も記されています。そこにはこう書かれています。

「怒りは決してそれ自身で発するものではない。心が賛同してからである。なぜなら、不正をこうむったという表象を受け取ること、それに対する復讐を熱望すること、さらに2つのこと、自分は害されてはならなかったということと報復が果たされなければならないということとを結びつけるのは、われわれの意志なしに惹起される類いの衝動に属してはいないからである」(『怒りについて』兼利琢也訳 岩波文庫)

 自分が不当に扱われたことと復讐が正当化されると考えることを結びつける怒りは当人の意思であり、自発的なものなのです。