当時、物流の中心は鉄道であり、都心にも多数の貨物駅が設置されたほか、都心を経由する貨物列車のジャンクションとして重要な役割を果たした。しかし、高度成長期に入ると、自動車輸送の発達、工場の郊外移転、そして1973年に都心を迂回するバイパス線・武蔵野線が開業すると貨物列車は削減された。

 国鉄末期、大きな赤字を垂れ流していた鉄道貨物の運行が縮小した反面、東京都市圏の旅客需要は増大したことから、山手貨物線を含む貨物線の旅客化が本格化し、運輸政策審議会は1985年に山手貨物線池袋~大崎間の旅客化を答申した。1986年に埼京線が新宿に乗り入れ、1988年に宇都宮線、高崎線から山手貨物線経由で池袋に乗り入れる列車が新設された。

 東海道線からの直通列車は、民営化後の1988年に新設された新宿行き有料着席列車「湘南新宿ライナー」など限定的な運行にとどまった。だが、1990年7月15日の読売新聞が、「全車2階建15両で通勤快速を―貨物線路を旅客輸送に活用―」と題して、東海道貨物線、山手貨物線を活用した列車を1時間あたり最大10本運行すると報じているように、民営化直後から検討は重ねていた。

 新宿以南の本格的な旅客化は埼京線の新宿乗り入れの10年後、1996年の恵比寿延伸でようやく実現した。これにより山手線内回りの最混雑区間である代々木~原宿間の混雑率は246%から200%程度に緩和し、さらなる運行の拡大への期待が高まった。

ダイヤ改正の制約だった
池袋駅の平面交差

 5年後の2001年に誕生した湘南新宿ラインは当初、宇都宮線と横須賀線、高崎線と東海道線の直通列車が日中のみ18往復、新宿発着の横須賀線直通列車が7往復の計25往復から始まった。2002年に埼京線が大崎に延伸し、東京臨海高速鉄道(りんかい線)大崎~新木場間との相互直通運転を開始すると、あわせて湘南新宿ラインも38往復に増発された。

 最終的に大宮方面、横浜方面の双方から最大毎時6本の運行を目指していたが、最大毎時20本の列車が運行されていた埼京線と共存するには、池袋駅構内の立体交差化、新宿駅のポイント増設、信号設備の改良が必要だった。