湘南新宿ラインが秀逸だったのは、そのネーミングだ。それまでも正式な路線名と運転系統が異なる例は存在した。例えば山手線は厳密には田端~品川間を指すが、東北線田端~東京間、東海道線東京~品川間を直通する環状運転を営業上、「山手線」と呼んでいる。また「埼京線」は川越線、東北線(別線)、赤羽線、山手線(貨物線)を走行する列車のことを指す。

 これらは基本的に、全ての列車が同じルートを走行するが、宇都宮線、高崎線、東海道線、横須賀線では、通常の上野・東京方面の列車と新宿経由の湘南新宿ラインが混在する。

 そこで路線名ではなく、運行系統の呼称として登場したのが湘南新宿ラインだ。これにより複雑化した運行形態が分かりやすくなり、2015年3月に運行開始した「上野東京ライン」、同年5月に運行開始した「仙石東北ライン」へと発展する。今では当たり前のことだが、当時は斬新だった。

新宿の急速な発展により
埼京線・山手線への旅客集中が問題化

 湘南新宿ラインが誕生したのは2001年12月だが、その出発点は80年代から90年代にかけて、新宿がビジネスセンターとして急速に発展したことが挙げられる。1991年の東京都庁移転に前後して、新宿方面の輸送需要は急増。1985年から1995年の10年間で、都心3区の従業人口はほぼ横ばいだったが、副都心3区は約20万人近く増加した。

 新宿方面に出るには、宇都宮線、高崎線方面からは大宮か赤羽で埼京線に乗り換えることになる。また、東海道線、横須賀線方面からは品川乗り換え、または横浜から東急東横線を利用するしかない。そのため、混雑の激しい埼京線、山手線への旅客集中も問題化していた。

 新宿方面の輸送旅客増強のカギを握ったのが「山手貨物線」だ。山手線は元々、貨物のバイパス路線として開業した路線だが、明治末に電車の運行が始まると貨物列車が走る余地が減っていった。そこで、1918年から1925年にかけて山手線に並行して貨物専用線を建設し、貨物列車を分離した。