秋の味覚を高らかに訴えた一席です。考えてみたら、秋の落語はこの噺ぐらいしかないのが不思議です。「食欲の秋」とはよく言われますが、そういう風に言われるようになったのは、高度経済成長あたりの飽食の時代からでしょうか。

 さて、この落語は、「お金は経験に使うためにある」と読み解くべきではないでしょうか。どうしてもお金は手元にあると貯めたくなるものですが、死蔵させてはもったいないものです。そのお金を使って、たくさんの世界に飛び込んで経験値を増やすべきではと確信します。

 どうしてもこの落語に関しては、否、殿様が出てくる落語すべてに通底することなのかもしれませんが、「殿様の無知を笑う」という捉え方になりがちです。

 それも無論ありでしょうが、どちらかというと、それは当時の庶民の溜飲を下げるための捉え方ではないでしょうか。やはり落語は時代時代に応じて、捉え方も聞き方も更新すべきではないかと思います。昔ながらの聞き方だけですと、もったいないような気がするのです。