実存の顔と人口的な
顔の境界線は?
つまるところ、カギを握るのは、やはり「顔」でしょう。生き物としての人を象徴する部位である顔は、いくらAIが高性能だとしても、生身のリアリティにはなかなか及びません。
では将来、生成AIは違和感を与えない顔を創ることはできるのでしょうか? AIに疎い私にはわかりません。ただ、生成AIは、「ヒト」のように、他者と時間や空間を共有することはできません。そういう意味では「モノ」を超えて、「ヒト」になりうるのは限界があると考えています。歌手にそっくりの生成AIがライブをしても、本物のライブ感は出せないのではないでしょうか。
先日、高校時代の同級生と落語会に行ってきました。その時に、女流の落語家さんが、噺に入る前のマクラで面白い話をしていました。
何人かの落語家さんと一緒に区役所で催す寄席に出演することになり、宣伝用のチラシを作ったそうです。チラシに載せる自分の顔写真を提出する際に、彼女は光の加減に最大限配慮し、一定の修正を加えて、少し盛った写真にしたそうです。
そして出来上がってきたチラシを見ると、彼女の顔写真の下にだけ「※写真はイメージです」と添えられていたというのです。彼女は「やっぱり公務員はきっちりしてはるわ」と笑いをとっていました。
もちろん半ば作った話でしょうが、実存の顔と人工的な顔の境界線は、今後ますます不明瞭になったとしても、それを笑って受け止めることができるセンスや余裕が大切であるような気がするのです。
(構成/フリーライター 友清 哲)