桃山時代の粋が凝縮した「西本願寺」

唐門西本願寺(下京区)の国宝「唐門」。修復作業を終え、3年前に極彩色が蘇った

 東寺をたっぷりと満喫、東寺餅を食べながら次に向かうのは、北へ15分ほどでたどり着く西本願寺です。こちらも境内に入る前に見どころが。七条大宮の交差点からひと筋東に構える木造の門をくぐると、両側に龍谷大学大宮キャンパスの近代建築群が現れます。左手に見える瀟洒(しょうしゃ)な洋館、それが国の重要文化財「龍谷大学 本館と南黌(なんこう)」です。1879(明治12)年に竣工しました。現役の校舎として使われており、日本人が設計した洋風建築の代表作として必見です。

 大宮キャンパスの北側、築地塀の向こう側は、浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺の寺域です。見過ごしがちですが、この築地塀は江戸中後期の建築と伝わる重要文化財で、5本の横線が寺格の高さを示しています。

 西本願寺の構えは50万石の大名の屋敷に匹敵するといわれる豪華なものです。まずは龍谷大学大宮キャンパスからすぐの境内南側に立つ国宝「唐門」から。伏見城の遺構とも伝わる、桃山文化を代表する建築です。まばゆいばかりの極彩色に染まる唐門の細部に目を凝らすと、獅子、鳳凰、牡丹、麒麟など、華やかな彫刻と飾り金具が施されています。見ほれているうちに日が暮れてしまう、それほどの美しさであるということから「日暮門」とも呼ばれています。

 法然上人が開いた浄土宗は、2024年に開宗850年の節目を迎えました。鎌倉中期に親鸞聖人が教えを説いた浄土真宗は、「本願寺」として、第3代覚如上人、第8代蓮如上人により大教団となり、やがて加賀一国を支配下に置くほどの力を持つようになって、大坂や和歌山などに拠点を構えました。

 1591(天正19)年、豊臣秀吉により寺地を拝領し、現在地に移りました。家康が天下を掌握した1602年(慶長7)年、寺地の寄進を受けた本願寺第12代の教如上人が真宗大谷派の本山東本願寺を創建。ここから本願寺が東西に分立しました。

 堀川通から御影堂門をくぐると、右側に阿弥陀如来像を安置する阿弥陀堂、左側に親鸞聖人像を安置する御影堂(ごえいどう)という二つの巨大な国宝伽藍が威容を放ちます。境内の南東角、豊臣秀吉が築いた聚楽第から移築したものと伝わる三層の楼閣「飛雲閣」(国宝)、枯山水の書院庭園(特別名勝)など、桃山文化を代表する文化財が点在しています。

 御影堂の前には、どっしりとした太い幹から視界に収まりきらないほどたくましく枝を広げるイチョウの大木があります。「逆さ銀杏」と呼ばれる樹齢400年の西本願寺のシンボルツリーで、京都市の天然記念物に指定されています。本願寺が大火に見舞われた際、この木から勢いよく水が噴き出て火を消し止めたと伝わる逸話から「水吹き銀杏」の異名も取っています。

御影堂門西本願寺「御影堂門」。堀川通を挟んだ向かい側には総門が立つ