小説・昭和の女帝#16Illustration by MIHO YASURAOKA

【前回までのあらすじ】「政界の黒幕」といわれた真木甚八は、かわいがっていた鳩山一郎が総理の座に就くのを見られぬまま泉下の人となった。生前、甚八から娘として認知されたレイ子は、受け継いだ遺産を政治家にばらまき、永田町で名を馳せるようになる。(『小説・昭和の女帝』#16)

東条が語った石原莞爾への思い、服部卓四郎への期待

 巣鴨プリズンの起床時間は6時だったが、鬼頭紘太は必ず1時間前に目が覚めた。目を閉じたまま時間をやりすごしてから、小便をして顔を洗う。ひげが伸びているが、ここでは自由にひげを当たることもできない。剃刀を使えるのは週に3回の入浴時だけだった。

 彼は、戦前に2度、収監されたことがあった。長いほうの刑期は4年にわたった。五・一五事件の後のクーデターに関わり、殺人予備罪と爆発物取締罰則違反で有罪になったときだ。

 そのときの獄中生活と、巣鴨プリズンとでは大違いだった。相手は司法ではなく、日本を占領している連合国だ。彼らからすれば、日本人全体を敵に回すよりも、一部の戦争指導者に罪を押し付けて断罪したほうが効率的に占領政策を実行できる。その他大勢の日本人は指導者に騙されていた無辜の民ということにしたほうが何かと都合がいいのだ。連合国の意図をそのように読んでいる彼は、最初から公正な裁判など期待しておらず、極刑に処されるのを覚悟していた。

 そうした生き死にの問題とは別に、日本の拘置所と巣鴨プリズンとの最大の違いは食だった。巣鴨プリズンの食事は西洋風で、例えば昼食は、黒パン、 チーズ、コンビーフとじゃがいもの煮つけ、ココア、それに季節の果物が付いているといった具合で、国内の食料事情からすれば王侯貴族並みである。

 彼は、上海にいるときはともかく、終戦前に内地に戻ってからは一般の日本人と同じものしか食べていなかったので、拘置所内の食事の充実ぶりには驚いたし、これが敗戦国と戦勝国の実力の差かと妙に納得してもいた。

 入獄当初は、他のA級戦犯容疑者たちが豪華な食事を無感動に食していることに驚いたものだった。囚人の多くは色艶が良く、肥えていた。

 拘置所内での唯一の楽しみは運動だった。運動といっても、獄舎とヒマラヤ杉の並木の間のさして広くもない広場を歩くだけだ。味気ない散歩だが、囚人同士で話ができる貴重な機会だった。

 とりわけ楽しみだったのは元総理の東條英機との会話だった。他の囚人たちは、東條を敬遠していた。近づいて同類と見なされ、刑が重くなるのを恐れているのだ。鬼頭は東條が気の毒になり、自分から声を掛けた。

 鬼頭と東條が並んで歩く姿は、他の囚人たちを驚かせたに違いない。なぜなら鬼頭は戦時中、東條から蛇蝎のごとく嫌われていたからだ。鬼頭は大陸にいたころから東條のライバルである石原莞爾に心酔していた。石原は、アジア諸国が互いの主権を認め、政治の独立性を尊重し合うことを目指す東亜連盟を組織していた。鬼頭は陸軍参謀本部の嘱託を突然、解任されたことがあったが、それは東亜連盟に関わっていることを東條から睨まれたためだと思っていた。鬼頭は内地送還となった後、陸軍ではなく海軍航空本部のために物資を調達するようになった。海軍のほうが鬼頭の肌に合ったので、陸軍から締め出されたことは、結果的には悪くなかった。

 こうした経緯があるものの、鬼頭は東條に対して個人的な恨みはなかった。もちろん敗戦を招いた数多くの作戦や人事について言いたいことは山ほどあった。だが、それよりも、一国の総理としての重責を負ったことへの敬意のほうが勝っていた。

「ツツジが立派ですね」

 ヒマラヤ杉の下で、初めて話し掛けたときの東條の返事を鬼頭は生涯忘れなかった。東條は、「ああ、そうだねえ。赤や紫といった華やかなツツジの花もいいが、ここでは、潔い白いツツジが似合う」と答えた。

 鬼頭はこの一言で、他人の分まで責任を背負って死ぬつもりだと直感した。

 陸軍大将の階級章をはぎとった軍服を着て、ひょうひょうと散歩場を歩く東條に、尊大といわれた現役時代の面影はなかった。