ムーミントロールに思春期が到来したことがひとつの焦点になっていますけれども、私自身がその渦中にあって、混乱のただなかにいましたから、『ムーミンパパ海へいく』を適切な距離感で受けとめられなかったのです。

『ムーミンパパの思い出』がそうだったように、本作でもムーミンパパはファッファンとトーベを掛けあわせたキャラクターなのだと思います。いや、それどころか『ムーミンパパ海へいく』では登場するキャラクターのすべてがもはやトーベの分身です。

 生涯の伴侶を得たことによる安定、ムーミンビジネスへの倦怠、シリーズの進展による内容の高度化などによって、トーベの内省性が深まり、そのニューロマイノリティ(編集部注/神経学的少数派=注意欠如多動性障害や自閉スペクトラム症などの症状を持つ人のことを非病理的に捉えなおした表現)としての特性、つまり自閉性が『ムーミンパパ海へいく』では登場する全キャラクターに分有されています。本作に至ってトーベの自閉性はムーミン・シリーズでの最高到達点を記録した、というのが私なりの観測です。この事態を示唆するこんな叙述が冒頭近くにあります。

 みんなはいつでもなにかやっていました。静かに休みなく、夢中になって、自分たちの世界を満たしている1つ1つの小さなことがらに、とりくんでいたのです。その世界は、ぜんぶ自分たちだけで作りあげているもので、外からはだれも入りこむ余地はありません。(『海へいく』p.9)

 ひとりひとりが美しく自己完結している小世界です。

ムーミンパパの行動から見える
頑固親父的な自閉性

 この自閉的結晶世界の中心にいるのが、ムーミンパパです。ムーミンパパが不安を抱えながらガラスの魔法の玉を見つめる様子は、その姿からしてひとり遊びに熱中するニューロマイノリティの子どものようです。

 これを見ることで、家族がパパだけの知る深い海の底にいて、自分にはみんなを守ってやる必要があると感じられるのでした。(『海へいく』p.18)

 ムーミンパパは――私の主著の書名で言うところの――「みんな水の中」(編集部注/著書『みんな水の中─「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』)と感じながら生きているわけです。その自閉性は、ここでは家父長的権威と融合しています。実際、ニューロマイノリティの男性はしばしば頑固親父的です。

 サイモン・バロン=コーエンという心理学者は、ニューロマイノリティが「超男性脳」を持つ人々だと論じ、現在では「男性脳」や「女性脳」の議論は疑似科学的として否定的な意見が優勢になりましたけれども、その学説が広く支持された時代もありました。