洛北の福禄寿神と松ヶ崎大黒天
次は福禄寿神にお会いしに、比叡山延暦寺の別院である赤山禅院(左京区)へ。六波羅蜜寺からは北へ8km弱離れていますから、京阪本線「清水五条」駅から鴨東線「出町柳」駅で叡電に乗り換え、四つ目の「修学院」駅で下りて東へ20分歩きましょう。
平安時代の888(仁和4)年、第三世天台座主・慈覚大師円仁の遺命により、第四世天台座主・安慧(あんね)によって創建されました。都からみて北東の方向、つまり鬼や災いが侵入する「鬼門」に位置することから、京の都の守護として、方よけの御利益でも信仰を集めてきました。拝殿の屋根を見上げると、御幣と鈴を手にしたお猿像が! これは「魔が去る(猿)」、つまり魔よけの役割を担っています。
「延寿福楽」の御利益を授けるという福禄寿神をおまつりする福禄寿殿で参拝した後は、立体型のおみくじを引いてみましょう。置物として飾れる陶製のものはよく見かけますが、こちらは木製。1体ずつ手描きされたお顔はやさしくほほ笑んでいて、見る人を穏やかな気持ちにしてくれます。
ちなみに、都七福神に名を連ねているのは先述の六波羅蜜寺ですが、赤山禅院の境内にも「出世弁財天」として信仰される弁財天をおまつりするお堂がありますので、併せてお参りしておくと、御利益が倍増するかもしれません。
“松ヶ崎の大黒さん”として親しまれている妙円寺(左京区)の大黒天は、伝教大師最澄の作と伝わります。京都七福神の一番でもあります。その創建は江戸初期の1616(元和2)年。毎年8月16日に行われる晩夏の風物詩「五山の送り火」の「法」をともす松ヶ崎東山の中腹に立つ日蓮宗のお寺です。赤山禅院からは西へ2km弱ほど。歩けば30分です。
大黒天は、インドから中国を経て日本へ伝わりましたが、日本の国造りを行った大国主命と結びつくように、米俵の上に乗って右手に打ち出の小づち、左手に袋を携えてほほ笑むお姿が浸透し、「開運招福」や「商売繁盛」の神として親しまれるようになりました。