公式のお詫びによって
将来の損失も回避

 議論が続くほど議論への参加者も増える。当初はこの問題に取り立てて関心のなかった人でも「隣人が悪いんじゃ」的な意見に接するうち、社会常識に照らし合わせて「隣人は悪くない。吉沢さんが悪い」と言う人が出てくるはずである。おそらく必然的にそうなる。

 もしそうなった場合、話題の先にずっと居続けさせられる隣人は気の毒極まりない上に、吉沢さんも実質的に大きな損失を被ることになる。

 泥酔トラブルが話題としてくすぶり続ける限り失態も長く尾を引いて記憶されるし、上記のケースだと「隣人が悪い」の主張に反論するためにその都度「いや吉沢さんが悪い」と言及されるのである。つまり、議論の決着が曖昧なままだとずーっと世間で「吉沢さんが悪い」が言われ続ける。人気商売にとってこの状況は致命傷である。

 これらを踏まえ、本件をきちっとした配慮でもって、グダることなくきちっと終わらせた事務所の手腕は見事であったといえよう。

 アミューズの謝罪には、他にも一般人に受け入れられやすいテクニックがいくつか盛り込まれている。

 まず、必要なことが順序よく、過不足なく説明されていた。状況はわかりやすく、平身低頭であり、また言い訳めいた表現はなかった。1回目(6日)のコメントでは「酒によって」という文言があったが、2回目(14日)のコメントに「酒」の文字はない。

 次に、事務所が「不肖・吉沢亮を支えていく」という、事務所としてのスタンスを明確にした点である。

 まごうことなき四面楚歌になりうる不祥事だと、ファンや一般人はボコボコにやられているその著名人を見て、どこかで肩を持てる部分がないかと探してしまうものである。そして肩を持つために、「隣人にもわずかにでも責任が」と言い始めてしまう。

 しかし事務所が「こんなだけど吉沢亮を我々は見捨てません」という救いを示したことでファンの、吉沢さんへの保護欲の暴走を食い止めるための先んじた一手となしたのであった。

 コメントが事務所と吉沢亮さんの二者から行われた点も秀逸であった。

 たとえば「示談になった」という報告は、事務的ではあっても吉沢さん本人からされるのと、事務所からされるのでは印象が違う。こういう「事実だけどその人が言うと聞き手の反感を刺激するかもしれないこと」は、事務所から報告された。

 そして事務所のコメントのあとに、吉沢さん本人のコメントが載せられている。内容は、深いお詫びと反省である。