謝罪の冒頭から反省の弁をものすごく述べられてもそのすべてを受け入れる気になるのは難しいが、先に事務所が必要なことをすべてすっきり説明してから本人のお詫びが来るので、お詫びをお詫びとして聞きやすい――もっというなら、お詫びが読み手に心情的に刺さりやすい構成になっている。
あのお詫びを読んで、「隣人とは決着したみたいだし、本人にもダメージあったし、反省しているみたいだし、事務所もしっかりしてるし、もうこれ以上外野が責めることないから、これからもがんばって」と感じた一般人は多いはずである。
謝りすぎず誠意が見える
全体としてバランスが良い謝罪
昨年はじめ、ヒカキンさんが二股疑惑を報じられてすぐに謝罪動画を出し、その内容を絶賛された一幕があったが、中には「謝りすぎではないか」という違和感の声も聞かれた。
その点においても、アミューズと吉沢さんの謝罪文は、二者がそれぞれの役割を担ったことで謝りすぎている感じに陥らず、全体としてバランスの良いものに仕上がっている。
アミューズにどれだけの打算があったかは別にして、吉沢さんの件における隣人への配慮は確たるものであり、きちんと誠意を見せた。
「正直者が馬鹿を見る」という世の物悲しさを伝えることわざがあり、近年は「優しい人ほど損をする」という一般論もよく耳にするようになってきた。
正道や誠実が報われにくい世の中で、アミューズ、および吉沢亮さんの配慮ある謝罪が一定の評価を受けていることは一抹の希望にすら感じられる。
ここ最近は、主に性の方面で、芸能界がやけにただれた伏魔殿であることが取り沙汰されるようになってきた。悪しき慣習や空気はぜひ是正されたいが、芸能界や芸能事務所に対して一般人が結構大きな不信感を抱いているのも事実である。業界が存続をはかるのなら、変革期が来ているということなのだろう。
SNS台頭の新時代を生き抜いていく芸能事務所のあり方として、また誠意が誠意として評価される時代の規範として、今回の謝罪の姿勢はぜひ広く参考にされたいところである。