巨悪を叩きたい、不正を追及したい、この悪を世間に晒してやりたいという「制裁欲求」が強くなりすぎた結果、ストレートな罵倒・侮辱になってしまう――。フジの会見での“演説型記者”にも見られたこの現象は、ネット、SNS、リアル問わずに続発している。わかりやすいのは、高名なジャーナリストである青木理氏による「劣等民族」発言だ。
ネット番組の中でジャーナリストの津田大介氏と対談し、「人々はなぜ自民党に投票し続けるのか」との問いに対して、青木氏はこのように言い放った。
「一言で終わりそう。劣等民族だから」
反自民・反権力の人々からすれば「何も間違ったことは言ってない」「ド正論」と拍手喝采の痛快な論評だが、言われた側は不愉快極まりない。当たり前の話だが、自民党に投票をする人たちにもさまざまな事情・考えがある。しかも、歴史を振り返ると、人類は特定の民族や集団を「劣等民族」扱いをして弾圧・虐殺してきた動かし難い事実もあるということで、批判が寄せられたのだ。
では、このジャーナリストの「暴言」問題を、我々一般市民はどう受け止めるべきか。巨悪と戦うという公益性の高い仕事をしている人たちなのだから、ちょっとくらい荒っぽい言葉づかいや、誹謗中傷があっても「批判精神」として受け入れていくべきなのか。
この問題を考えていくうえで、うってつけの判決がつい最近出たばかりだ。ジャーナリストの鈴木エイト氏を、旧統一教会信者の後藤徹氏が名誉毀損で訴えた裁判である。
《「ミヤネ屋」での発言などで鈴木エイト氏敗訴 監禁された旧統一教会信者を「引きこもり」》(産経新聞 2月3日)
こういう見出しを見ると、多くの方は「鈴木エイトさんに対する旧統一教会側が仕掛けたSLAPP訴訟だな」と思うかもしれない。が、実際にこの後藤氏本人に話を聞いて、他の拉致監禁被害者たちにも取材をしてきた立場からすると、そういう単純な話ではない。