「野球で言うと完全試合は逃したがノーヒットノーランで勝った印象。高裁では完全試合を目指します。 鬼の首を取ったように騒いでいる人は判決文も読んでいないんだろうなと思う。」(鈴木エイト氏 公式Xより)

“自信満々”に暴走してしまう
ジャーナリストの「悲しい性」

 この「勝利宣言」を見て筆者は「これぞジャーナリストだ」と強く感じた。筆者はただのしがないフリーライターなので、ジャーナリストがなんたるかなどは知らないが、若いときに某大御所ジャーナリストの「データマン」の経験があるほか、雑誌編集者として多くのジャーナリストの仕事を間近に見てきた。

 そこで見たのは、ジャーナリストと呼ばれる人々は決して「自分の信念を曲げない」ということだ。

 担当編集としてあるジャーナリストと一緒に某大企業の名誉毀損裁判に対応したことがある。その法廷でこちらの「事実誤認」が明らかになって、謝罪文を出すことになったのだが、そのジャーナリストはまったく悪びれることなく「こんな嫌がらせに屈するのか」なんて言っていた。当時はまだ若かったので、「自分のミスを棚に上げてよく言うよ」とイラッときたものだが、そういう人々と多く接してきた今はよくわかる。そのような「常人」にはない絶対的な自信と、決して折れない強いハートがあるからこそ、巨悪や不正を追及できる部分もあるのだ。

 その一方で、鈴木エイト氏の拉致監禁問題を全否定するスタンスを見て、この問題を初めて取り上げたノンフィクション作家の米本和広氏の言葉も頭によぎった。

 安倍晋三元首相を銃撃し、殺害した罪などに問われている山上徹也被告が事件前に手紙を送っていたことで注目を集めた米本氏。もともと旧統一教会に批判的な立場で取材を進めていたが、やがて「反カルトのカルト性」にも目を向けるようになった。信者の拉致・監禁の実態を公表し、「脱会屋」と呼ばれる人々の批判にまわった。そんな米本氏が、「週刊文春」から山上被告とのやりとりについて取材を受けている。