
フジテレビの“天皇”と呼ばれる日枝久氏の去就に注目が集まっている。巨大メディア帝国、フジサンケイグループの代表を務め、40年近くにわたって頂点に君臨する日枝氏は、どのように強大な権力基盤を構築したのか。特集『フジテレビ崩壊 沈む巨大メディア帝国』の#10では、日枝氏がいかにして絶対権力者に登り詰めたかについて、フジテレビの歴史や権力闘争を描き切ったジャーナリストへの取材などを基に考察する。また、日枝院政の限界を示した、8年前の「情実人事」の内幕も明らかにする。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)
「クーデター」の首謀者、日枝氏
鹿内家との暗闘で権力基盤固める
「日枝久氏の権力を語る上で、外せないのがクーデターだ」。フジテレビなどを擁する巨大メディア帝国、フジサンケイグループの歴史や権力闘争を描いた『メディアの支配者』(講談社)の著者の中川一徳氏はそう指摘する。クーデターとは、1992年に当時フジテレビ社長だった日枝氏が首謀者となり、グループ議長だった鹿内宏明氏を追放した事件である。
フジサンケイグループは、宏明氏の義父である鹿内信隆氏が一代で築き上げた。メディアの帝王と呼ばれた信隆氏はフジテレビを日本一のテレビ局に押し上げ、息子の春雄氏に禅譲。鹿内家による支配を確立した。だが、春雄氏が42歳の若さで急死すると、娘婿である宏明氏を議長に据えた。信隆氏は90年に死去し、その2年後にクーデターは勃発した。
日枝氏はフジテレビをまとめ上げ、92年7月21日に産経新聞社会長だった宏明氏を取締役会で電撃解任する。宏明氏は翌22日に議長職とフジテレビ、ニッポン放送の会長を退任すると発表した。日枝氏が決起した真相は不明だが、「日枝氏子飼いの役員が飛ばされ、次は自分の番だとの危機感があったはず」(中川氏)。
ただ、火種は残った。フジテレビ株式の51%を保有するニッポン放送の株式を宏明氏が13.1%保有していたためだ。筆頭株主である宏明氏の復権を封じ込めるための策が、フジテレビとニッポン放送の上場である。宏明氏の影響力を下げる狙いがあった。しかし、代償も払うことになる。ニッポン放送の上場は後にライブドア騒動を招いたのだ。
いずれにしろ、鹿内家との暗闘の中で日枝氏がニッポン放送などグループの中核企業を押さえ、フジテレビによる支配体制を確立し、日枝氏自身も権力基盤を固めた。
日枝氏の権力の源泉が人事だ。次ページでは、人事権の行使がいかに独裁の道を敷いていくことになったのか、具体的なエピソードを基に明かしていく。また、日枝院政の限界を示すことになった、8年前の「情実人事」の内幕についても詳述する。さらに、フジテレビ社内では日枝氏に引導を渡す可能性があると指摘されている人物が存在する。その人物とは。