下らない恋愛小説を書くな!
そう叱っていた父だったが

 片や、父曰く「1953年の日記帳には、盛んに『米田久子さん』が出てくる。熱烈な恋愛が続いた」とのこと。父の方が熱烈な片思いをしていたのか、とも思ったけれど、違っていた。母は1953年(昭和28年)に、こんな詩を書いて、父に贈っている。

タイトルは「白い橋」――。

いつも別れるあの橋は
名前も知らない白い橋
小舟の浮かぶ入江見て
ほほえみ交わす白い橋
みじかい橋を歩くとき
別れの時のつらさゆえ
いつもふたりは佇んだ
もすこし長い橋ならば
もっと楽しく話せたに
いつも別れるあの橋は
みじかい橋よ 白い橋

 数年前に、父から届いた手紙に書き写されていた「白い橋」を読んで、私は唸った。あの母が、こんなものを書いていたのかと、感心することしきり。なんともせつなく、いじらしく、なんとも初々しい恋人たちではないか。

 父の言った通り、ふたりのあいだには、熱烈な恋愛があったのだ。それなのに、自分たちのことを棚に上げて、一時期、恋愛小説を書くのに夢中になっていた私に対して「なぜお前はいつまでも、そんな下らないものばかりを書いているのか」と、父はなぜあんなにも激しく、叱り飛ばしたのだろう。

 父は父で、母に、愛の詩を捧げている。

 私が日本からアメリカへ引っ越すときにまとめて船便で送った書籍類の一冊『萩原朔太郎詩集』(岩波文庫・昭和28年第4刷)の1ページ目――裏には萩原朔太郎の肖像写真が載っている――に、万年筆の手書きで。