両親から受け継いだ詩が
やなせたかし先生との仕事に

 絵を描くのが好きで得意で、漫画家になりたかった父。文学を愛し、小説家になりたいと夢見ていた美人の母。子ども時代と青春時代を戦争で塗り潰されてしまったふたり。

 そんな両親の大恋愛を想像すると、少しばかり、くすぐったくもなるけれど、それでも私という人間は、ふたりの熱烈な恋愛から生まれてきたのだと思うと、なんとはなしに矜持を持つことができる。

 10代の頃から詩を書き始め、やなせたかし先生が編集長を務めていた雑誌『詩とメルヘン』への詩の投稿から書く仕事に入っていった私は、両親から、いろんなものを受け継いでいるのだろう。いろんな、いいもの。その中のひとつが詩だったのだと思う。もしかしたら早熟な恋愛や、いったん好きになったら、脇目も振らず、なりふりかまわず、のめり込んでしまう性格も、そのひとつなのかもしれない。

 たとえ「おまえの書く恋愛小説は下らない」と斬り捨てられても、今の私は笑って受け流せる。胸を張って言い返せる。

「だって、私はあなたたちの娘だもの」と。

絵日記で気づいた
ショットガン・ウェディング

 熱烈な恋愛を経て、1955年(昭和30年)11月3日、ふたりはめでたく結婚した。このとき、父は23歳。母は22歳。若いなぁ。

 あれ?計算が合わないんじゃないの、と、私は初めてこの絵日記を読んだときに気づいて失笑したものだった。

 私が生まれたのは、1956年(昭和31年)3月17日。

 ということは、私はふたりが結婚式を挙げた日にはすでに、母のお腹の中にいたことになる。いっしょに結婚式に出ていたことになる。

「できちゃった婚」なのか「授かり婚」なのか、今ではさほど珍しくはないのだろうけれど、思春期や大学時代に恋愛に夢中になっていた私を「ええ加減にせんか、目を覚ませ」と、厳しく叱っていた両親が、かつて親に隠れて何をしていたのかと思うと、笑えます。

 ちなみに「婚前妊娠結婚」は、アメリカでは、妊娠した娘の父親が相手の男性に散弾銃を突き付けて結婚を迫ったことから「ショットガン・ウェディング」と呼ばれているそうです。くわばら、くわばら。