河岸の倉庫には、別の業者がトウモロコシの粉を大量に保管していたのですが、その業者のスペースと我々のスペースの間に仕切りがありませんでした。
その結果、風で飛ばされたトウモロコシの粉がタイヤについたことで、“トウモロコシ味付きタイヤ(!)”が出来上がり、蟻がタイヤまでをもかじっていたのです。
おそらくこんなことは、世界中でも前代未聞の出来事だったと思いますが、そんなことは一切の言い訳になりません。
ディーラーからは厳しい叱責を受け、代替品の早期送付や損失補償の要求をつきつけられ、大切な新商品を傷物にしてしまった倉庫長である私は、社内でも「どう解決するのかナ。見ものだナ」と冷ややかな目にさらされていました。
もちろん、私はすぐに代替品の出荷手続きを進めましたが、これが困難をきわめました。というのは、当時は伝票発行も配送手配もすべて手作業だったからです。
しかも、物流網も非常に貧弱で、地方配送は多数の個人運送屋との伝票ごとの直接契約。それも地域ごとに縄張りがあるため、リレー形式で届けるという複雑なものになっていました。
また、保険会社との交渉も難航をきわめました。
当然のことながら、倉庫に入れたタイヤには保険をかけていたのですが、「タイヤが蟻に食われた」などという事態は、保険会社にとっても想定外。「そんなケースは聞いたことがない」「当保険のカバー範囲外」となかなか保険金の支払いに応じてはくれませんでした。
その間も、ディーラーや会社からは、「損失補償はどうなるんだ?」と催促はひっきりなしに届きます。これはキツかったですね。
倉庫長とは言え、社会人3年目、ビジネス経験に乏しく、タイ語も英語も未熟で、ひょろひょろに痩せた私には、逃げ道もなければ、言葉巧みに言い繕うような芸当もできません。
ただひたすら頭を下げて、正直に事情を説明して、問題解決のために愚直に行動することしかできませんでした。
あるときを「境」に、一気に問題は収束する
「なんで、こんな目にあわなきゃいけないんだ……」
何度もそう思っては、落ち込んだりもしましたが、すべての関係者に誠実な対応を続けた結果、あるときを境に一気に解決へと向かい始めました。
若造だった私を憐れんでくれたのか、保険会社の担当者も私の主張に寄り添ってくれるようになり、社内を説得して保険金の支払いを決めてくださったのです。
こうしてこの前代未聞のトラブルは解決へと向かっていきました。
そしてこれを境に新米の私の状況は一変。困難な中での早期の代替品出荷や営業部門からのしかるべき損失補償につなげることで、ご迷惑をおかけしたディーラーとの関係性が改善するどころか、この間、正直に対応したことを評価してくださったディーラーも多く、私を信頼してくださる方も現れたのです。
もちろん、社内でも名誉回復がなされ、「よくやったな」と褒めてくれる上司もいました。
このときは、ずいぶんと苦しい思いをしましたが、逃げたり、嘘をついたりせず、誠心誠意問題に向き合えば、なんとかなるという「楽観」を体感することができました。これは、私の人生にとって、非常に大きな意味をもったように思います。
「あらゆるトラブルは必ず解決する」という楽観を育てる
私は、若い頃からこのような経験をたくさんしてきました。
どういうわけか、トラブル・シューティングを任されることが多く、「火中の栗」を何度も拾わされてきたからです。
キャリアを積んで、それなりの職位に就いてからは、世界を舞台にしたより深刻な問題にかかわるようになりましたが、不祥事対応の原理原則に変わりはありませんでした。
「逃げない」「正直である」「嘘を言わない」「謝るべきは謝る」「解決に向けて愚直に行動する」といった基本を徹底する。これは、国家、人種、宗教を問わず、ユニバーサルに通用する原理原則であり、徹頭徹尾これを貫くことで、あらゆる問題は解決へと向かうのです。
そして、経営者には、この「楽観」が不可欠です。
どんな不祥事に見舞われても。逃げたり、言い繕ったりせず、誠心誠意を尽くすことで、必ず、問題を乗り越えることができると腹が据わるからです。
逆に、この「楽観」が身についてない経営者は、ちょっとした不祥事でも平常心を失い、いとも簡単に原理原則から逸脱して、取り返しのつかないミスを犯してしまうのです。
ただし、年月をかけないと、この「楽観」を身体に染み込ませることはできません。
経営者になってから、急ごしらえで身につけられるようなものではないのです。
その意味で、若い頃から苦難に直面するのは、実は幸運なことかもしれません。
現場でもみくちゃにされながら、苦難を乗り越える経験ができることこそが“エリート街道”であり、不祥事をたくましく乗り切る力を備えた「経営者」を育てるのだと私は考えています。
(この記事は、『臆病な経営者こそ「最強」である。』の一部を抜粋・編集したものです)
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株式会社ブリヂストン元CEO
1944年山形県生まれ。東京外国語大学外国語学部インドシナ語学科卒業後、ブリヂストンタイヤ(のちにブリヂストン)入社。タイ、中近東、中国、ヨーロッパなどでキャリアを積むほか、アメリカの国民的企業だったファイアストン買収(当時、日本企業最大の海外企業買収)時には、社長参謀として実務を取り仕切るなど、海外事業に多大な貢献をする。タイ現地法人CEOとしては、同国内トップシェアを確立するとともに東南アジアにおける一大拠点に仕立て上げたほか、ヨーロッパ現地法人CEOとしては、就任時に非常に厳しい経営状況にあった欧州事業の立て直しを成功させる。その後、本社副社長などを経て、同社がフランスのミシュランを抜いて世界トップシェア企業の地位を奪還した翌年、2006年に本社CEOに就任。「名実ともに世界ナンバーワン企業としての基盤を築く」を旗印に、世界約14万人の従業員を率いる。2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災などの危機をくぐりぬけながら、創業以来最大規模の組織改革を敢行したほか、独自のグローバル・マネジメント・システムも導入。また、世界中の工場の統廃合・新設を急ピッチで進めるとともに、基礎研究に多大な投資をすることで長期的な企業戦略も明確化するなど、一部メディアから「超強気の経営」と称せられるアグレッシブな経営を展開。その結果、ROA6%という当初目標を達成する。2012年3月に会長就任。2013年3月に相談役に退いた。キリンホールディングス株式会社社外取締役、株式会社日本経済新聞社社外監査役などを歴任・著書に『優れたリーダーはみな小心者である。』『参謀の思考法』(ともにダイヤモンド社)がある。(写真撮影 榊智朗)