本当に危険な状況
たしかに危険な状況で「危ない」と思ったけれど、僕たちはビデオや写真を撮影することに夢中で……。
噴火のときに光の環ができる「光環現象」が見られることがあるのですが、それもしっかりと撮影できました。いま振り返ると、とても貴重な映像です。
でも、ずっとそこにいるわけにはいかなかった。本当に危険な状況でした。
そのとき、ジープのハンドルを握っていたのはこれまでにたくさんの噴火に立ち会ってきたベテランドライバーの曽屋さんで、どうやって逃げたら助かるかを知っている人でした。
火山灰が積もって砂漠のようになってしまったところを、命からがら必死に逃げたんです。我々の真横にも火山弾がボンボン降ってきて、なかには軽自動車ぐらいのサイズのものもあった。あれが直撃したら即死でした。
本当によく生きて帰ったと思います。
その後、伊豆大島の大島警察署に行きました。そこに噴火の現地対策本部が設置されていたからです。
そこにはたまたま別の調査できていた、僕の地質学の先生である荒牧重雄教授と東京大学地震研究所名誉教授の下鶴大輔先生がいらっしゃって、みんなで「どうしよう……」という感じでしたね。
とにかく予想外に激しい噴火でした。
炎のカーテン
噴火は、その後もどんどん大きくなって、火口が割れて広がりました。こうした噴火を「割れ目噴火」といいます。
たとえば九州の豊肥火山地域の大分-熊本構造線は断層の集合体で線がすべて割れ目に沿っています。
その真ん中には活火山の阿蘇山もある。あとはアイスランドの一部もそうですが、マグマが大量に上昇してくると割れ目が全部噴火口になります。
マグマが噴き上げると炎のカーテンのようになる。割れ目噴火になると規模が大きくなって単一の噴火口からの噴火と比べると、だいたい10~100倍ぐらいの量のマグマが噴き出るんです。
割れ目噴火がはじまったのが、僕たちが命からがら逃げてきた直後です。夜になると炎のカーテンがブワッと1500メートルまで立ち上がっていました。
その光景は美しいといえば美しい。でも、そこでは地震もあって震度5強の揺れだったし、とても怖かった。
僕は大島警察署の屋上からビデオ班としてビデオを撮影していました。1階は対策本部で、荒牧先生、下鶴先生、それに大島町の町長や大島警察署の署長などが集まって町民の方々の避難の方法などを話し合っていました。
本当にすべてがはじめてのことで、皆いろいろと大変でしたね。