東日本大震災によって日本列島は地震や火山噴火が頻発する「大地変動の時代」に入った。その中で、地震や津波、噴火で死なずに生き延びるためには「地学」の知識が必要になる。京都大学名誉教授の著者が授業スタイルの語り口で、地学のエッセンスと生き延びるための知識を明快に伝える『大人のための地学の教室』が発刊された。西成活裕氏(東京大学教授)「迫りくる巨大地震から身を守るには? これは万人の必読の書、まさに知識は力なり。地学の知的興奮も同時に味わえる最高の一冊」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。

伊豆大島の大噴火
僕が伊豆大島で体験した大噴火について記します。
1986年11月15日の夕方に起こった三原山の山頂火口からの噴火は、日暮れとともに溶岩の火柱を立ち上げました。
そして、カルデラ床からの噴火がはじまると大量の溶岩をカルデラ内に流出。
さらに噴火割れ目は北側の外輪山を越えて山腹へと伸長していきました。
伊豆大島火山で山腹割れ目噴火が発生したのは、528年ぶりといいます。噴火に伴って流れ出した溶岩が、人口の多い地区に迫ったこともあり、全島民の島外避難を決定。
1万人あまりの島民は本土へ避難しました。
2024年現在、気象庁による伊豆大島火山の噴火警戒レベルは「1(活火山であることに留意)」ですが、地下深部はマグマが蓄積された状態にあり、火山活動はやや高まっていると考えられます。
マグマに追いかけられた!
火山大国である日本では、地震だけでなく、これまでも多くの災害が記録されています。今回は火山によって引き起こされる災害やそのメカニズムについて解説しましょう。
今から40年近く前、伊豆大島でとても貴重な経験をしました。1986年11月のことです。伊豆大島の三原山で噴火がはじまりました。
最初は小さな噴火だったんです。それが、いきなりドンッと大きな噴火になって僕はマグマに追いかけられました。
どういうことかというと、最初は三原山の火口に溶岩がたまって、「噴泉」が見られました。
噴泉とはハワイなどでよく見られる、まさにマグマが泉のように勢いよく噴き出す現象です。
その噴泉が終わるタイミングで僕は三原山に行ったんですね。そのときの伊豆大島の噴火は、僕が現地入りする3日ぐらい前からはじまっていました。
すぐに行きたかったけれど、僕はちょうどそのとき博士論文を書いていたんですね。博士論文は12月に東大理学系研究科へ提出しなくてはいけないからもう必死で、寝る間も惜しんで書いていました。
そんな折に三原山が噴火したんです。
なにか様子がおかしい
僕は、「なぜ、こんな忙しいときに噴火するんだ」って火山に向かって怒りました。
まあ、怒ってもしょうがないのですが、噴火が終わってしまうのではないかと勝手に焦りながら、とりあえず博士論文をある程度まとめてから出かけたので、現地に着くのが3日も遅れてしまいました。
当時、勤めていた地質調査所の課長の曽屋龍典さんや東京大学理学部地学科の後輩の中野俊君も、それぞれ僕と同じように忙しくて、すぐには現地に行けなかった。
3人とも、「噴火はじまっちゃったよ……。行きたい! 行きたい!!」という感じでした。結局、この3人は現地に向かうのが同じタイミングになったので、「じゃあ一緒に行きましょう」って3人で伊豆大島行きのフェリーが出ている東京湾の竹芝桟橋に向かいました。
ターミナルでフェリーを待っていると、伊豆大島から帰ってきた、たくさんの同僚に出会いました。
「鎌田くん、いま頃行ったってもう噴火のピークは終わったよ」などと声を掛けられたんです。僕たち3人は、伊豆大島に着いたらすぐにジープを借りて、三原山の上のほうを目指しました。
そうすると、なにか様子がおかしいんです。だんだん噴火が大きくなってきて、マグマがこっちに向けてドシンドシンと落ちてくる。そこで3人とも同時に危険を直感して、「退却!」という事態になったのです。