第2の問題は、マインド・リーディング技術が明らかにすることをどこまで信頼してよいのかということだ。たとえば、どのような仕事に就いたらよいのか迷っている大学生が、マインド・リーディングを用いたカウンセリングを受けたとしよう。そしてその結果、本人にはまったく自覚がなかったが、じつはフランス料理のシェフになりたいと思っているということが明らかになったとしよう。この学生は、この結果を信じて、シェフを目指すべきなのだろうか。あるいは、もともと検討していた選択肢のなかから進路を選ぶべきなのだろうか。

 より微妙な事例も考えられる。ある白人男性の脳の活動を計測したところ、黒人男性の写真を見たときだけ恐怖に関係する部位が活動することがわかったとしよう。このことは、この男性が人種差別主義者だということを示しているのだろうか。本人にまったくその自覚がなく、差別的な言動を一切示していないとしても、この男性は隠れた人種差別主義者なのだろうか。

 反社会性についても同じようなことがいえる。どれだけ反社会的なことを頭の中で考えていたとしても、それを実際に行動に移さなければ、その人は反社会的な人ではない。われわれの社会的評価は、いわば推定無罪の原則に基づいているのだ。

レッテルを貼られることが
反社会的な行動を誘発する恐れ

 マインド・リーディングの結果を鵜呑みにすれば、この原則に反して、さまざまな偏見や予断を持って人を判断することになりかねない。差別主義者や反社会的な人というレッテルを貼ることで、それらの人びとにたいする差別が生じ、場合によっては、そのことが反社会的な行動を誘発するかもしれない。

 そうだとすれば、やはりわれわれはマインド・リーディング技術を利用すべきではないのだろうか。利用が認められる領域と認められない領域を線引きすることは可能だろうか。たとえば、マインド・リーディングの対象となる人の同意があるかどうかが基準となるかもしれない。