ここで具体的に問題になるのはつぎのようなことだ。自分の性格や本心を知りたいという人がみずから望むならば、マインド・リーディング技術の利用は認められるだろうか。そのときに、本人も気づいていない自殺願望や犯罪衝動が発見されたら、どうしたらよいのだろうか。
あるいは、マーケティング目的で、企業が消費者の了承なしにマインド・リーディングを行うことは許されるだろうか。いまのところ、脳の活動を遠隔から計測する技術は存在しない。しかし、将来的にはそのような技術が開発されるかもしれない。
脳の活動を直接計測できなくとも、スーパーマーケットにおける視線や身体の動きから、間接的に消費者のマインド・リーディングを行うことは可能だ。そのような手法ならば、消費者の許可なくマインド・リーディングを行ってもよいだろうか。
反社会的な行為を
考えるだけで罰するべきか?
ほかにも問題はある。反社会的な人を発見するためならば、強制的に大規模なマインド・リーディングを行うことを認めてもよいだろうか。これまで、頭の中で考えるだけならば、われわれはどれだけ反社会的なことや反道徳的なことを考えることも自由だった。
しかし、たとえば小児性愛の妄想を抱く人は実際に子供を対象とした性犯罪を起こす可能性が高いということがわかったとしたら、そのような妄想を抱いているかどうかをマインド・リーディングを用いて調べることは許されるだろうか。それが社会全体で行われる場合と、小学校教諭のような特定の職業に就く際に行われる場合では、話は違ってくるだろうか。
入国審査でテロリストを発見する目的でマインド・リーディング技術を用いることならば、認めてもよいだろうか。いずれも答えるのが難しい問いだ(注1)。