ディズニーランドが持つ、このような「外界から隔絶された感」は、その生みの親であるウォルト・ディズニーの思想に強い影響を受けている。ウォルトは、その幼少期をアメリカの中西部で過ごした。中西部は、気候的に恵まれているとはいえず、ウォルトも小さいときから厳しい自然環境の中で、親の畑仕事の手伝いなどをしていた。この中でウォルトには、厳しい自然環境に対する憎悪ともいえる感情が生まれたらしい。
だからこそ、彼はディズニーランドの中で、徹底的に本物の自然がない(あるのは作り物の自然)、人工的なユートピアを作ろうとしたのだ。

さらに、そこには彼の愛国的な主張も多分に含まれていて、彼が目指す「理想としてのアメリカ」像が深く刻まれていた。だから、それは現実と少しでも地続きであってはいけないし、徹底的に現実が見えないものを作る必要があったわけだ(能登路雅子『ディズニーランドという聖地』)。
その意味で、ウォルトにとってディズニーランドとは、現実を巧妙に覆い隠すための装置であり、そのための方法論として、ある空間全体を彼の思う「テーマ」で埋め尽くす必要があった。
テーマパーク的な空間の作り方は、彼にとっては、「辛いアメリカ」という現実を忘れるための「手段」だったのだ。