「欲しがりません、勝つまでは」「日本人なら贅沢はできないはずだ」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」という“ガマン系スローガン”がよく唱えられ、素直な日本人はいかに質素節約ができるかを競い合って、「自分」を優先する者は袋叩きにした。洋装やパーマの女性は「非国民」と罵られ、電車内で見知らぬ男性たちに引きずり回されたという記録もある。
「狂った時代だな」とドン引きする人も多いだろうが、実は令和の日本もそれほど変わっていない。
わかりやすいのは、コロナ禍だ。実はこの時に深刻な問題になった「医療崩壊」というのは、「病院数と病床数は世界一なのに、集中治療ベッドとその人員が異常に少ない」という日本の医療体制がかねてから抱えていたシステムエラーが主な原因だ。
しかし、そういう話をすると関係各位が揉めるということもあって、政府は「医療従事者のためにステイホーム」という“ガマン系スローガン”でこの問題を乗り切った。その結果、「繁華街で飲み歩いている人」や「しっかりマスクをつけていない人」は国民の憎悪の対象となり、マスクをしていない人にお仕置きをする「マスク警察」が続出した。
システムの問題に手をつけず、精神論で乗り切ろうとするのは、日本の国民性なのだ。
そして、これは今のコメ行政に関わる人々もまったく同じだ。農水省とJAの最優先事項が、これまで半世紀以上続けてきた「減反政策」の維持であることは言うまでもない。彼らの頭の中には、このシステムさえ死守すれば、コメ農家が事業継続できて、日本の農業は守られるという考えに取り憑かれている。
だから「減反政策護持」のためには、コメ価格が5000円になろうとも6000円になろうともあまり関係ない。今は参院選が近いので票稼ぎのために備蓄米放出だなんだと動いているが、コメ行政に携わる人たちの頭の中には基本的にJAと同じで「ワガママ言わずに、5000円くらい出せよ」というのがある。