「かわいい」の標準は
アニメキャラクター

 韓国が本格的に「裕福な」国になった2000年代から、美と見なされるものや、そういう美を手に入れる方法は韓国人によって何度も再構成され、再取得されてきた。

 わたしは西洋メディアの思考が染み込んだ自分の推測と闘いながら、1800年代後半に初めて美容の眼瞼形成術を行なったとされる日本の眼科医の論文に戻った。

 彼が何と書いたか、覚えているだろうか?「日本の浮世絵師や作家は……この[目の]状態に注目した」。

 報道をしていた数年間、白人みたいに見られようとしていると、普通の韓国人から聞いたことは一度もなかった。彼らはもっと若くなりたい、もっと「愛嬌(エギョ)がある人」に、つまり「かわいい人」になりたいと言った。

 そして率直に言うと、「かわいい」の標準はアニメのキャラクターや、ソーシャルアプリのデジタルフィルターで加工されたもののように見えた。

 その意味で、二重まぶたの手術を最初に考案した日本人医師はそんな手術方法を生み出した点で時代を先取りしただけでなく、この手術が人気になった理由を、早い時期に人種的な件とは無関係に示していた。

 つまり、目を大きくする手術を受ければ、顔がいっそう芸術的に見えるということだ。人生は芸術を模倣するという考えは目新しくないが、今ではそれを実現するためのツールが格段に優れたものになっている。