米軍兵士の気を引くために
韓国の女たちは二重まぶたにした

 ディモアは2013年の著書で、世界でもトップクラスである韓国の形成外科業界のルーツは、現在の国を形成することになった20世紀中ごろの流血の戦闘後の再建医学にあると主張している。

 第2次世界大戦が終結した直後の数年間、かつては統一されていた朝鮮をアメリカとソ連が占領し、日本による同国の長い占領期間は終わった。

 その後、アメリカは1950年から53年までの朝鮮戦争で南側と連携し、韓国との同盟は現在まで続いている。

 二重まぶたの手術が一般に普及し始めたのは1954年、米国海軍の韓国での形成外科医長だったデイヴィッド・ラルフ・ミラードが二重まぶた整形の独自の方法を考えついたときだった。

 自分の患者ではなかったが、彼は売春婦たちにその手術を試みた。

 ミラードの業務は米軍兵士と戦争犠牲者に焦点を当てたもので、彼は戦後の韓国を「形成外科医の楽園」と断言した。戦後の負傷者の症状が多岐にわたっていて、ミラードにとって自分の技術を実践する機会がいくらでもあったからだ。

 ミラードは長短両方ある遺産を残した。

 まず、生まれつきの一重まぶたは治すべき欠陥だと彼は考え、その論文には民族的な自覚と白人優越主義の概念が含まれていた。

 1964年の論文で、ミラードは「西洋の目」と「東洋の目」を区別し、二重まぶたの手術は、東アジア人の半分が生まれつき持っている一重まぶたの特徴を消すことだと認識している。

 ミラードの立場を無視するわけにはいかない。彼が担当した韓国人の売春婦である患者たちは、顧客の米軍兵士を引きつけたいと願ったのだ。

 ナディア・Y・キム(アメリカのロヨラ・メリーマウント大学教授。アジア系アメリカ人研究を行っている)はそれについてこのように書いている。

「米軍と[ミラード]は白人という人種の体に対する韓国人の劣等感を具体化していた」と。これはアメリカと韓国の関係に力の差が組み込まれていた結果だ。

 ミラードはアメリカ人の好みに合うように韓国人の顔を変える方法を普及させ、そうすることで、韓国においては戦後の西洋男性の視線が望ましい判断基準だと決定づけた。