論破の動機の
背後にある支配
論理という道具を使うと、自分がどんなに不利な状況でも何とかなる場合があるということや、「自分のやりたいことを押し通すためには、この手を使うとけっこういける」ということに、おいらわりと早い段階で気づいていたと思います。
そしておいらの場合、昔から自分の中で「思いどおりにしたい」という気持ちが強ければ強いほど、どうやら論破力が発揮されるようなのです。
(『論破力』西村博之、朝日新書、2018年)
(『論破力』西村博之、朝日新書、2018年)

彼が「論破王」として振舞っているのは、多かれ少なかれ、討論番組においてその役割を求められているからだろう。しかし、そうした演出上の意図を差し引いたとしても、この点については、彼自身の価値観によるものではないか。つまり彼は、論理を駆使して相手を支配し、自らの目的を果たすことに、達成感を抱いているのではないか。
なぜ、ひろゆきは相手を論破しようとするのだろうか。それは彼が相手を支配したいと欲望しているからである。彼の論破への動機はそこに存している。