しかも、それはすべてジェフという男の富と権力をより増大させるためのものなのだ。自由主義者であれば、これほどまでにひとりの人間に力が集中していることに震え上がるはずだ。市場という考え方を(そして、もちろん自律的な自己という考え方も)信じる人であれば、クラウド資本が市場の死を告げる弔いの鐘であるとわかるだろう。市場に懐疑的な人も、とりわけ社会主義者なら、アマゾン・ドットコムは資本主義が行きすぎた存在だから悪者だ、という甘い思い込みが間違いだったと気づくべきだ。なぜなら、実のところアマゾンは資本主義よりも邪悪ななにかだからだ。
例えるならアマゾンは
デジタル版の封建領地
「アマゾンが資本主義市場でないとしたら、アマゾン・ドットコムという場所はいったいなんなのか?」と、数年前、テキサス大学の学生に聞かれた。
「デジタル版の封建領地のようなものだ」。私は直感的にそう答えた。「ポスト資本主義の時代のね。その歴史的なルーツは封建時代のヨーロッパにあるけれど、未来型のディストピア的なクラウド資本がそのルールを決めている封建領地だ」。それ以来、このときの発言は難しい問いへのそれなりに正しい答えだったと確信するようになった。
封建制のもとで、領主はいわゆる「封土」を「封臣」と呼ばれる家臣たちに与える。こうした封土とは、領主の領土の一部で経済的な利益を搾り取る権利を封臣たちへと正式に与えるものだ。たとえば、その領土で作物を植えたり、そこで家畜を放牧したりする権利である。封臣は見返りとして生産物の一部を領主に納める。領主は執行官を派遣して、封土での生産を監視し、支払われるべきものを徴収する。アマゾンに出店する事業者とジェフとの関係は、これとそう違わない。ジェフは事業者にクラウドベースのデジタルな封土を与え、手数料を受け取り、アルゴリズム執行官に監視させて徴収するのだ。