その一方で、少し離れた市西部の道路などでは、装甲車がまるで道路に縦列駐車をしたかのような格好で炎上しているケースも結構目立った。

 車間を詰めた形で縦隊の列を崩さず炎上する装甲車の写真も配信され、やはり異常な光景として受け止められた。道幅が狭い山道ならば最先端と最後尾の車両が攻撃を受けた場合は、その間の車両も身動きが取れずに縦隊を維持したまま餌食になることはあり得るかもしれない。

縦隊を崩さずに炎上する装甲車の様子同書より転載 拡大画像表示

 しかし天安門事件で隊列を維持したまま炎上した装甲車の場合、現場の道路が片側5車線前後と道幅が広く、いくらでも回避行動ができたと考えられる。

 被害を受けたとされる約1000両の軍用車両のうち、どれだけが本物の「暴徒」の襲撃を受け、どれだけが自作自演の「偽旗作戦」だったか。その割合については、残念ながら明確な数字を突き止めることはできなかった。

 世界に大きな衝撃を与えた天安門事件は、三十余年を経た現在にいたっても、中国共産党の「最大のタブー」として覆い隠され、疑いだせばきりがないほど、なお闇深いのである。