尾根筋は国境線となることが多く、本来は簡単に移動していい場所ではありません。しかし「修行だから」という理由で許されるわけです。鍛冶師や猟師のような人々も同じように自由に国境線を越えられたといいます。

 つまり、政元が細川氏の頂点に立ちながらなかなか自分の思う通りに動くことができず、鬱屈した思いを抱える中で、自分のやりたいことを叶えるための武器として、修験者たちや鍛冶師や猟師などと繋がろうとした、ということはあり得ると考えられるのです。

 それは当時の常識からすればなかなか変わっていることではあるのですが、政元がただの変人ではなく、自分なりの方法を模索して行動したと見れば、彼なりの筋は通っている、ということなのでしょう。

細川政元が結果的に
味方に暗殺されてしまった理由

 はっきりとはわかりませんが、とにかく当時の常識・習慣から大きく外れていたのは間違いないようです。だからこそ次第に「この人を担いで、ついて行って大丈夫か」と見られるようになっていったわけです。

 最終的に政元は、養子の澄之を支持する内衆と呼ばれる家臣団によって暗殺されてしまうわけですが、これも結局のところ周りがトップについていけないから、暗殺ということになってしまうのだと思われます。信長もそうだったのではないでしょうか。

 政元も信長も新しい価値観を持っていて、彼らだからこそ見えていた景色というものもあったと思います。しかし残念ながらその価値観や視野に共感し、同じように動くことができる人間が周囲には少なかったということなのでしょう。

 暗殺を主導した内衆と呼ばれる人々は、政元を幼少期から支えていた家臣団でもあり、彼らがいたからこそ政元が政治を遂行できたという部分ももちろんあります。

 しかしその一方で政元のように、「自分の考えや力で新しい世界を切り開こう」という境地には至っていませんし、むしろ自分たちの既得権益にしがみついてしまって、政元の理想にはついていけませんでした。最終的には自分たちにとって主君である政元が邪魔になり、排除しようということになったのです。