そして私たちは、「運」という概念で、このような宇宙の複雑なしくみを説明しようとする。
そうすれば、自分はこのカオスを何らかの形でコントロールしている、ただ振り回されているだけではないと思えるからです。
人間はつねにコントロールを求めています。次に起こることが予測できさえすれば、その知識を自分の有利になるように使うことができるというわけです。実際のところ、科学的な研究の根底にも、この考え方があるかもしれません!
そう考えれば、幸運のお守り、迷信、儀式といったものも、同じような衝動から生まれているともいえます(これらを科学的と考える人はいませんが)。
人間には、周りの世界をモデルで理解し、予測し、コントロールしようという強い衝動があり、その衝動があればこそ、科学や技術がこんなにも発展してきたのでしょう。
ツイてない出来事は
本当に運のせいなのか?
しかし、そこには代償もあります。私たち人間は、何か理解できないことがあると、その穴を埋めるために自分にウソをつくのです。
物事が計画通りに進まないときや、望んだ通りの結果にならなかったとき、私たちは他の人のせいにしたり、あるいはただ運が悪かっただけだと考えたりする。
こうやって「不運」というものは、中身のわからないブラックボックス、あるいは、説明できない出来事、因果関係がわからない出来事をすべて放り込んでおく箱になりました。
説明できないという状況は大きなストレスになるので、すべて「不運」で片づけてしまおうというわけです。
ブラックジャックのプレイヤーは、自分の手は自分で決めることができます。どこでヒット(追加でカードを引くこと)し、どこでステイ(もうカードを引かないと宣言すること)するかは、自分でコントロールできる。それでも、最終的にお金を儲けることができるかどうかは、運に頼るしかありません。
たしかにブラックジャックには、「カードカウンティング」というテクニックがあります。