「ずっとここに住んでほしい」は
言ってはいけない

馬場 二地域居住というのも、実はずっと負い目があって、どこか関わりきれない、地元の人におんぶにダッコという感じはあるんです。「すごい」とか言ってて、「それでどうするんだ、あんた?」みたいに自分につっこみたくなる部分がずっとあったんですけど、最近気づいたのは、二地域居住だから、私は地域の旧住民の人たちと関わりたいのかもしれないのかなと。

 必死で心地よさを探したり、一生懸命自分の仲間を作ったりするのは、最初からそこに住んでいないからだと。それが東京に暮らしながら、田舎にも住まうという利点でもあるのかなって思っています。

吉里裕也(よしざと・ひろや) 1972年京都生まれ。東京都立大学工学研究科建築学専攻修了。ディベロッパー勤務を経て2004年に林厚見とSPEAC,inc.を設立。「東京R不動産」を立ち上げるとともに、CIA Inc./The Brand Architect Groupにて都市施設やリテールのブランディングを行う。不動産・建築・デザイン・オペレーション・マーケティング等を包括的な視点でプロデュースを行うとともに、自分の空間を編集していくための建材やサービスを提供する「toolbox」の運営も行っている。共編著書に『東京R不動産』『東京R不動産2』『だから、僕らはこの働き方を選んだ』『toolbox』等。東京都市大学非常勤講師。

吉里 馬場さんの場合、最終的に移住に向かう感じってあるの? 5年くらいのスパンだとそうなんだろうけど、この先10年、20年後はどう考えてるの?

馬場 そうですね。理想を言えば、やっぱり移住したいなぁと思ってるかも。でも、移住はしたいと思ってるけど、それはとても先のことかな。

山崎 地域の人たちから「あんたら、将来的にはここに住んでくれるんやな」みたいに言われる?

馬場 もうしょっちゅう言われますね。それこそね、会うたびですよ。「早く茶飲み友達になろう」「早くしないと、死んじゃうから」って(笑)。でも、私の抱える現実としては、義理の母が東京にいて一緒に暮らしているとか、母は東京で仕事をしていて、私も支えているとか、家計を支えてくれている夫が東京で会社勤めであるとか、そういう現実との兼ね合いの中で、ギリギリの選択が二地域居住なんですね。

山崎 地域の人たちからの「いつか、ここに住んでくれるんやろうな」というのは、プレッシャーにはならないですか?

馬場 場面によりますね。たとえば、草刈りがままならない時に言われると、すごくプレッシャーですよね(笑)。

山崎 僕が関わっていた、島根県の隠岐諸島の海士(あま)町という町があるんですけど、ここの山内道雄町長という人がすごいんです。若い新住民もたくさん移住してきているところなんだけど、山内町長はこういう新住民に対して、「『ずっとここに住んでくれるんだろうね』っていうことは言うな」と町民に言い聞かせているんですよ。

馬場 えぇ?

山崎 少なくとも、役場職員はそれを絶対言っちゃいけないということになっていて。でも、酔うとどうしても言っちゃうんですよね。「でも、お前、どこか別の場所、行っちゃうのとちゃう?」とかね。そうすると、職員はものすごい怒られるんですよ。「それを言うな」と。

馬場 へぇ。「プレッシャーかけるな」ということ?

山崎 そう。「それ言うな。いたかったら、いてもいいし、出たかったら、出ても構わない」と。「出て、海士町でこういう暮らしができたというのを話してくれたらいいし、海士町のことを広報してくれたらいいんだ」と。むしろ「いてくれるよなぁ」とプレッシャーかければかけるほど、いたくなくなる人だって多いから、それはやるなと言ってるのを聞いて、この人はいろんなことがすごくわかっているんだなって思いましたね。

吉里 会社でも、「辞めないでね」とか言うと、かえって「こいつら、大丈夫なのか?」と思いますよね(笑)。社員にい続けてほしいなら、いたいと思える環境をなんとか作ろうと考えるべきなのに。それは町づくりも同じですね。

山崎 そうでしょうね。そう思いますね。