香山リカ
第20回
スーパースターひとりの頑張りを美談に終わらせてはいけない
どの分野にも、先進的な取り組みを実現させた組織には、けん引役となった人が存在する。その人の献身的な働きは大きく、社会を変える原動力である。しかし、理想を言えば、属人的な取り組みを、組織的な仕組みに変えていくことが必要だ。

第19回
誰もがサバイバル競争に晒されるなかで共助社会は築けるか
経済成長の低下とともに、個人の競争も激しくなってきた。いまや自助努力をしないとサバイバル競争で勝ち残れないと言われる。しかし競争社会では、そこから取り残されてしまう人は必ず存在する。このような社会でも共助の仕組みを育むことはできないものだろうか。

第18回
他者と自分を比較していがみ合うのではなく小さな違いを前提として共存する姿勢を
震災から1年が経とうとしている今、被災地の状況も変化しているようだ。早くにかつての生活を取り戻した人もいれば、いまだ生活の基盤が築けない人もいる。こうした違いが顕著になればなるほど、「被災者としての一体感」は弱まり、違った問題も現れるだろう。

第17回
SNSを自在に使いこなす若者がSNSに傷つき悩んでいる
一見、自由自在にSNSを使いこなしているかのように見える若い世代だが、本音では相当のストレスも抱えているようだ。人とつながることで、友達からの返事を気にしてしまったり、他人の生活と自分のそれと比較してしまう。果たして、心地よいつながりとはどのようなものなのだろうか。

第16回
「4年以内に70パーセントの確率で起こる」という問題をどう解釈するか
東京大学地震研究所は先日、首都圏でマグニチュード7クラスの直下型地震が4年以内に70パーセントの確率で発生する可能性があると公表した。将来、起こってほしくないことが起こる可能性が露わになる。このような不安に対応しなければいけない現実は、我々にとって新たな課題と言えるのではないだろうか。

第15回
テレビの前で議論しても残る橋下市政への違和感
これまで批判的に論評していた大阪市長・橋下氏と先日、テレビの討論番組に出演した。直接ご本人に疑問をぶつけてみたが、いまなお違和感は残る。改革の先にどのような社会をつくろうとしているのか、私には依然見えないままだ。

第14回
橋下市長個人にではなく〈橋下的なもの〉に感じる違和感。本当に必要なのはリダンダンシーのある社会ではないか
橋下徹・大阪市長が、自らの方針を批判する学者や識者を攻撃している。学者や識者らが、時の為政者や体制に批判的な意見を言うのは、いつの時代においても重要であろう。それに対して感情的な批判をぶつける橋下市長には違和感を覚えずにはおれない。

第13回
本に書かれた「処方箋」に頼ることで自分の知らない世界を理解する力が身につけられるか
最近の売れる本には、明快な答えが書かれていると言われる。万人に通用するような答えは、そんなになさそうに思われるが、多くの人が自分の問題を解決してくれるノウハウを求めているようだ。このような処方箋ばかり求めることによって、自分が知らない世界を想像する力が弱くなってしまいかねない。

第12回
「売れなくてもよい本」の存在を認めること。これが本当の教養ではないか
昨今の出版界は大きく様変わり。雑誌の売行きが落ちる中、付録つきの雑誌が大盛況である。ベストセラーを仕掛けるにも、いまや売る努力が欠かせないという。かつての「売れなくてもいい本」は、もはや存在できない時代になったのだろうか。

第11回
情報公開が進んだことの功罪。もう少し素朴に信頼し合える社会を築けないものか
情報公開が進展により、より安心できる社会が築かれつつある。その一方で「専門家の言うことなら」と受け入れられていたことも、自ら検証してみる必要性が生まれた。かつて日本には素朴に信頼し合える関係があり、それによって余計なストレスから解放されるメリットがあったことも覚えておきたい。

第10回
大阪市長選挙に思う。数値化できる成果が出なければ存在価値はないのか
大胆な政策を掲げて選挙で圧勝した橋下徹・大阪市長。行政のムダを排することはもちろん大切だか、行政でこそ実行できることもある。橋下氏は、あたかも成果が数値化できないものには価値がないような主張をするが、そこに大切なものを見失っていないだろうか。

第9回
いまや社会は、自分のこだわりを表現することが美徳となった?
ブログ、ツイッター、ファイスブックなど自分のことを発信するメディアが急増した。そこでは人は自分の私生活を公開し、多くのこだわりが披露されている。はたしてこれが、「自分のこだわり」の比較や競争になっていないか。そこで思わるストレスを抱える人も出てきている。

第8回
仕事に「自己実現」は必要か。働くことが楽しくない人がいてもいい
働く目的は、一義的には生きていくためだが、それが生きがいを感じたり、自己実現を目指したりするものになれば、より楽しくなるだろう。しかし、仕事を楽しまなくてはいけない、という固定観念は疑ってみてもいいのではないか。仕事を楽しむのが強要されることで、社会がより窮屈になってしまう恐れがある。

第7回
目標を数字にすると、目標が目的になってしまう。プロセスを楽しみ自己満足できればそれでいい
教養を高めるために、1年間で100冊の本を読む。こんな目標を立てたことから、本を読むのが目的になってしまうことはないだろうか。その結果、目標を達成されても、思っていたような結果が得られないことがある。えてして、人は目標に捉われてしまうのだ。

第6回
自分の思い通りにいかなくても「うまくいってない」とは限らない
自分の計画通りにいかないと、「うまくいっていない」と思いがち。ただ、そもそも人は自分の人生をどこまでコントロールできるだろうか。計画通りに行かなくても結果的によいこともあれば、計画通り進んでもよからぬ状況になることもある。計画を完璧に実行することに捉われてはいないだろうか。

第5回
計画したことが達成されるだけの人生をはたして「豊かな人生」と言えるだろうか
計画していたことがうまくいかなかったとき、ストレスを感じるものである。しかし、そもそも人がコントロールできることはさほど多くないものである。計画したことが達成されないことに動揺する必要はない。逆に計画していることが確実に達成されるだけの人生がはたして「豊か」と言えるだろうか。

第4回
最高か最低か――。両極の間に存在する「中間の状態」に耐えられなくなった日本人
世の中にはどちらにも分けられないことが多いが、何事も白黒つけようとしてしまう傾向が強い。しかし、いい面もあれば悪い面もあるのが世の中。完璧にいい人はいないし、100%悪い人もいない。人生も最高でも最低でもないなかで人は漂っているのではないだろうか。

第3回
自分が選択しているつもりが無意識のうちに多数派におもねるようになっていないか
人は選択肢が2つしかない場合、どちらが世の中で優勢かを無意識に考えて選んでしまう。これはあたかも自分の意志で決めているようにみえて、実は周囲の意見に大いに影響されているのだ。問題を二者択一にするとわかりやすいが、その弊害はあまりにも大きい。

第2回
「イエスかノーか」を即座に表明しなければならない現代かつて私たちが尊重してきた多様な価値観が排除されつつある
態度をはっきりさせることはいいことだが、すべての物事に白黒つけようという発想は危険が伴う。「どちらかと言えば好き」「おおむね賛成」といった意見が抹殺されてしまうからだ。二者択一はわかりやすさ、歯切れ良さがあるが、2つの意見に集約されることから、社会の多様性を失われてしまうおそれがある。

第1回
経済も人も、常に成長を目指さなくてはいけないのか
好評連載「香山リカの『こころの復興』で大切なこと」が終了し、今回からテーマも一新して再開します。取り上げるのは、社会や人の考えに蔓延している「白黒」つけたがる二者択一思考です。デジタルは「0」か「1」ですが、人が営む社会の問題は、「白黒」つけにくい問題が多いはずです。しかし、いまの日本では何事も白黒つけたがる発想が散見されるのではないでしょうか。このような現象に精神科医の香山リカさんが問題提起をします。名づけて「ほどほど」論。
