(2008年4月、青島)

 幸一の尻を叩いて慶子と一緒に帰国させた隆嗣は、その幸一の代役として山東省の青島へ乗り込み、三栄木材の岩本社長から依頼された、東洋ハウス一行のアテンドと通訳を引き受けて、日程を無難にこなしていた。

 東洋ハウスの交渉相手は、『山東建富開発有限公司』という、青島をはじめ省都の済南や煙台など山東省全域で工業団地開発、マンションと商業の複合施設開発などを手掛けて急成長した大企業だった。

 青島市内の見晴らしの良い丘の上に土地を確保した建富開発公司は、富裕層を当てこんだ戸建住宅街を試験的に開発しようと計画した。都市部では集合住宅がほとんどで、戸建て住宅といえば農村部の昔ながらのレンガ家屋しか目にできない中国では、高級戸建住宅のノウハウが蓄積されていないため、海外の住宅メーカーへ協力を打診することになった。

 青島は、かつてドイツの租借地であったため、現在でもドイツ風の遺構が残る風光明媚な港町である。その歴史に合わせて、ヨーロッパの住宅メーカーから協力を取り付けていたが、日本住宅も取り入れろと、公司の総経理から鶴の一声が上がったらしい。

 急遽変更されて、10棟建てられるモデルハウスのうち2棟を日本の住宅メーカーへ委ねることとなり、海外進出を行うと明言していた東洋ハウスが、渡りに船とばかりに応札して乗り込んできたのだった。

 東洋ハウス一行は、国際事業部長となった宮崎をはじめ、副社長の吉川、担当常務である岡崎といった役員たちや、技術畑の一級建築士と経理担当者まで引き連れた5名の陣容で臨み、意気込みのほどを示していた。

 最初に、青島市中心部に持つ自社ビルの最上階にある、建富開発公司のオフィスを訪問した。そこでは、海を見下ろす展望の美しさに圧倒され、広いオフィスを闊歩する中国ヤングエリートたちの洗練されたスタイルに感心した。しかし、隆嗣を含む訪問客一同を最も驚かせたのは、出迎えた総経理と会った時だった。

 土地の権限を政府が握る共産党政権下の中国で、このように不動産絡みで成功しているのは、間違いなく政府の懐深く入り込んだ政商であるはずだ。そう断じていた隆嗣たちの前に現れて、「総経理の王紅(ワン・ホン)です」と自己紹介したのは、一人の淑女だった。

 淡色のヨーロッパ製ブランドのスーツを着こなした年齢不詳の美しさを醸し出している長身の女性は、引き締まった顎のために小顔に見える輪郭の中、大きな目が印象的で、口元には気品を漂わせており、背中まで伸びた豊かな黒髪はしなやかな女性を演出していた。

 婦人向け雑誌のモデルが抜け出たような立ち姿に、皆一様に言葉を失ってしまった。冷静に観察すると、40歳前後であろうと隆嗣は察したが、それも彼女の美の衰えからではなく、落ち着いた円熟味から推測したものだ。

 初日は顔合わせだけであり、互いの会社紹介を手短に済ませると、微笑みながら握手を交わして女王への謁見を終えた。それから一同は、担当者と名乗る若い男女に案内されて、戸建住宅開発現地へと向かった。