米出版社からの印税振込で
感じた銀行気質

 現在、仮想通貨の「非中央集権型」という特性にそれほどメリットを感じない人も多数いると思います。

 ただ、銀行送金においては、銀行という管理者がいる「中央集権型」のシステムに不満を抱いた経験がある人もいるのではないでしょうか。

 個人的な話で恐縮ですが、私の小説がアメリカで出版されたときの話です。
 このとき、まず私の日本の銀行口座にドルでの振込がありました。

 すると、平日の14時に銀行から電話が来て、
「このドルはどのような類の報酬ですか?」
 と聞かれました。

「アメリカの出版社からの印税です」
 と答えると、女性は一度電話を切り、5分後に今度は上司とおぼしき男性から電話が来て、再び同じ質問をされました。

 当然、私は同じ回答をしたのですが、
「念のために、次のいずれかの項目に該当していないか、『はい』か『いいえ』でお答えください」
 と言われ、
「これは、海外の賭博で得たものではない」
 みたいな質問にわざわざ私は
「はい」「はい」
 と答えていきました。
 しかも、自分の仕事を中断してです。

 あまりの粘着質ぶりに私もさすがに嫌悪感を覚えたのですが、
「では、このドルを明日、円転してお客様の口座に反映させていただきます」
 と言われたときには、怒りすら湧きませんでした。
 なぜ、その日に円転できないのでしょう。
 このとき私は真剣に思いました。
「これならアメリカの出版社にビットコインで直接、自分のウォレットに送金してもらったほうがはるかによかった」

 この銀行の送金の遅さや手数料の高さを経験している人は、比較的、仮想通貨に対して期待している傾向が見受けられるように思います。

 実際に、アフリカ支援のためにビル&メリンダ・ゲイツ財団を運営しているビル・ゲイツも銀行には不快感を示し、数秒で、しかも安い手数料で海外送金が可能となるリップルの支持を表明しています。

 ゲイツの場合は、ポジショントークではなく、本音なのだと個人的には思っています。数ドルで救える命があるのに、手数料が数十ドルでは、ゲイツが怒るのも無理はないと感じてしまうのです。

 このように、仮想通貨を考えるときにはグローバルな視点が必要です。

 権力者に監視されずに、こうした不便から解放されるのが「非中央集権型」の魅力であり、「仮想通貨の強み」なのだと私などは思うのですが、誰かに支配されることを嫌う人でも、ことお金になると、大衆の総意で売買決済されたり送受金ができる民主主義的な仮想通貨よりも、中央集権にコントロールされるという社会主義を好む人が多いようです。